トランスナショナル・スペース


Transnational Spaces
Regina Bittner, Wilfried Hackenbroich, Kai V〓¶ckle


「volume」誌の第3号に掲載された「Transnational Spaces」という記事の一部。ここでは東側諸国とトルコ間における国境を超えた繊維売買ネットワークのハブとなったイスタンブールのラレリ地区に焦点が当てられている。ここで商売をする人はトルコの田舎やブルガリアボスニアマケドニアといったところから出稼ぎに来る。彼らは客の言語であるロシア語に堪能であり、広告はバイリンガル、支払いはドル。このトランスナショナルな空間のあり方は新しいローカリティにつながっている。こうした人々と商品との国境を越えた混成から、どんな都市モデルが浮かび上がってくるのか? が問われている。



トルコはイスタンブールのラレリ地区。マークが密集した辺り、だと思います。




こういう位置関係。

1990年代以来、イスタンブールの「ラレリ」と呼ばれる地区は、かつての東側諸国とトルコ間における国境を越えた繊維貿易の中心となっている。1990年代のはじめ、境界が開くとともに、トルコでつくられた安価な繊維商品によってロシアの商人たち ―大部分は女性― はわんさとイスタンブールへ引きつけられる。それぞれがスーツケースに入れて持ち運べるだけの量を買い、商人たちは転売のためにモスクワへと持ち帰る。こうした行為は1990年代初頭のロシアにあまり消費材がなかったということに起因するだけではなく、トルコ経済における大規模な景気向上に寄与している。当初「ナタシャ貿易」という言葉でほのめかされたものは、要するに売春のことだが、その間にプロフェッショナライズされた。今ではホテルはロシアのビジネスウーマンたちのためにショップツアーを毎週日曜から木曜にかけて組んでおり、一般のショップに向かわないものを土曜日モスクワのマーケットで転売できるようになっている。ラレリ地区における販売人のほとんどはロシア語に堪能で、商品の幅はロシアのビジネスウーマンの好みや選好に対応している。広告はバイリンガルで、支払いはドル。販売人自身は主にトルコの田舎から出てきている ―ほとんどがクルドの背景をもっている― あるいはブルガリアボスニア、またマケドニアから来ている。彼らは大都市に出稼ぎにきた移民なのだ。


イスタンブールの繊維貿易は国境を越えたレベルでの「市場の再発明」の実例だ。商人の地理的な包括的連続性、商品の流れ、市場といったものの中で規定されているのだが、それが国境を広げることになる。ラレリ地区はこのようにして国境を越えたネットワークのハブとして機能している。歴史的な半島であるこの都市エリアの物理的空間は、多様な人々が関与しその人々に属する、遥か彼方、東/東南ヨーロッパにまで至る社会的空間とは全く異なっている。「the Kolleg」は、商人や商品の連鎖やネットワークを追い、都市地域に対するその空間的なインパクトを調査した。さらには、形式的な規範も処罰も無い中で発展してきた社会的なインタラクションのパタンを観察している。興味深いことに、こうした相互接続をするネットワークは領域的な境界を超えて動き、家族関係から起こる恊働や社会的統合を基にするパタンを、とりわけ信頼と親密性の関係性を明らかにする。「the Bauhaus Kolleg」はこのようにして、いかにしてこのエリアが国境を越えた空間 ―新たなローカリティという考え方でもある― として成立したのかを、そのエリアの社会的な仕組みや空間構造を通して探究している。この調査の焦点にあるのはこうした問題だ。人々と商品との国境を越えた混成から、どんな都市モデルが浮かび上がってくるんだろうか?


(了)

和歌山バグース


和歌浦にあるホテルの一階か地下部分にもぐりこむようにして寄生するDIY海の家。



いちばん右ですね


ぱっと目につく仮囲いは建設中のものじゃない。解体がストップしているのだ。この画面にあるほとんどの建物が廃墟。これについては、以前景観問題に揺れていた広島「鞆の浦」について少し書いたときにちょっとだけ触れていたのだった(これです)。昔から名勝地として有名なこの地に訪れた1950年代をピークとする観光ブーム。かげりが見えてきた60年代以降、てこ入れを試みるこの地がとった方向転換。その結果、万葉集にも謳われたほどの「景勝地」は失われ、レジャーを中心とした「観光地」へと変化した。この笑えないジョークみたいな話が鞆の浦でも繰り返されるかもわからんぞ、というようなことを書いていた。


ちなみにこの方向転換によって「阪神地方などから海水浴客を確保することには成功した」らしいが、観光の対象をつぶしてしまったので、観光客は当たり前のように減る。鞆の浦でも観光の対象を潰して観光バスの駐車場にしようという下手なアメリカンジョークみたいな計画ができていた。その後、国内温泉ブームがきても和歌浦には温泉が無いので白浜や勝浦へ流れて観光客はさらに減る。バブル期が来てもすでに観光地としての魅力を奪われている和歌浦は開発&投資の対象にならず、そのまま放置。



説明しづらいですが、店の奥は洞窟みたいになっていて、行き止まりにライブステージがあります。そのあたりからの一枚。


はやって廃れてのあとには、多くの廃業ホテル&旅館が残された。その痕跡が上の写真に写っている。皮肉なことだけど、廃墟ブームのときには「聖地」と呼ばれた。そしてそんな中でも地道にコツコツやっているホテルはある。それが写真一番右のホテルだ。そしてそんなホテルの一階なのか地下部分なのかに寄生しているのがバグースというお店。海水浴客も来るし、地元の人も来るし、ライブもできるのでそのためのお客さんも来る。いろいろあって、いろいろあったことがいやおうなくほのめかされているこの場所に、そんなこととはあんまり関係なく息づいている場所がある。


この下にはもう少し写真がありますよ。

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Research for Research



shimpei.wsさんに手伝ってもらいました


http://r-f-r.net/
世の中にはたくさんの建築組織がありますが、建てることだけを目指した組織ばかりではありません。アカデミックな組織、インディペンデントな組織、NPO、はたまた組織じゃなくてもひとりでコツコツとやってる人、建築には直接携わっていない人。そういう組織のウェブサイトを見つけてきて、彼らの「About」(かそれらしきもの)を日本語にしていきます。面白い企画の紹介サイトも同じくです。

QueryCruise3


「地域」とはどういうものとして見えてくるのか、そしてそこにどんな主体がどのような関わり方をしているのか、ということについてお話を聞く「QueryCruise3 タウンとアーキテクト」に、新しいインタビューが加わりました。


第一回目と第二回目の紹介はこちら



vol.3:まち飯インタビュー「「処方箋」から「寄り添い」へ―まちづくりアドバイザーという役割」


第三回目は、京都市の嘱託職員として「まちづくりアドバイザー」という役割を引き受け、それぞれにいち地域と対話を続けている方々や、その他コンサルや研究者といった立場にいる方々からなる団体「まち飯」さんにお話を聞きました。地域が抱える問題の一端として行政の動きの悪さが指摘されることも多いですが、こうした独自の取り組みが一方で行われていることも事実。ただそれだけで何かが解決しているわけではありません。行政は地域に対して何ができるのか、あるいは行政は地域にとってどのような役に立ちうるのか、そこで何が問題となるのか。地域との具体的な対話から見えてくる状況についてお話をしています。



vol.4:高浜利也インタビュー「地域にとってどのような「余所者」であるか」


一方で、第四回目は、制作の中で様々な地域へと関わられているアーティスト、高浜利也さんにお話を聞きました。第一回目の片木さんへのインタビューの中でもアートという言葉やその言葉の下でどのようなことを行うかがひとつの話題になりましたが、今回は彫刻家という肩書きを背負いアートという分野の中にいる方へお話をうかがっています。彫刻家として、教育者として、はたまた職人として、自身の生き方が分断されることなく自身の活動として浮かび上がっている高浜さんにとって、そうした多面的な顔と地域への関わり方にはどのような関係があるのか、ここでは「余所者」というあり方をひとつの補助線としてお話をしています。

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なお、現在夏休み特別付録と、京都府立大学で都市計画を教える宗田好史先生へのインタビューを編集しているところです。

Volume#27 Fight and Accept 後編


前編はこちら


これまでの「老いたあとどうするか」モデルに対して「現象としての老いをどうするか」モデルがここで具体的に問題とされている。まず前者。働いている人にとって老いた家族の面倒は負担であり、そうした生産の抑制となりかねない義務から家族単位を自由にするために、例えば老人ホームはつくられた。でもこれはまさしく「機能しなくなった身体部分を取り替える」ような操作に等しい。問題は二つ。そんな金のかかることこれからも続けて行けるのか? もうひとつ。老いた家族にも可能な生産体制は考えられないのか? こうした考えの向こうに「現象としての老い」にどう対処するかという問題がある。言い換えると、社会の中で問題を抱えるとされる個別の状況に対してそのつど解決策を与えて行くのではなくて、今はそうした現実を持続的に許容するようなひとつの環境が強調されるべきだ。


この序文で言われていることは、「老若」の再統合が目指されるべき、ということだ。機能しなくなった身体部分は取り替えればいい、と考える人は「永遠の若さ」をほしがって、生産の現場を若い人たちだけに任せ、そうやって社会全体を「若く」しようとする。でもちょっと立ち止まって考えるべきことがあるんじゃないか。そこで盲目的に目指されていた「永遠の若さ」って、本当に価値あることか? その「永遠の若さ」の代償は、「老いたもの」の隔離にあった。古建築保存がちょっとずつ市民権を得て行く中で、古いものと新しいものとの共存のさせ方に価値が認められていくように、隔離じゃない、「老若がともにどうあるのか」に関するデザインが求められるはず。


こうした問題を裏返すと、過去に「さしあたっての対処」として出された解決策にちょっとほころびがでてきて、それを今どう更新するのか、という問題設定が見てとれるかもしれない。こうした視線は、21号ブロック特集における、公共住宅大量供給問題の見直しや、24号カウンターカルチャー特集における、60年代の残滓を今どう考えるかという問題設定にも見られるかもしれない。当たり前だけど、過去は現在につながっている。でもそれは忘れられがちなことでもある。「さしあたって」が思いのほか長く続くことになったり(戦後復興のための道路がなぜかまだつくられていたり)、かつてのドリーミングな解決策が実は悪夢のような現実を今もたらしていたり(アスベストとか原発とか)する。そういう構図を持った問題は様々な形で、僕らのまわりにあると思うのだ。

こうした発展の社会的、空間的な含意を想像することは難しい。が、それが現実になるまでにじっくり考えるための時間はいくらかある。その間、私たちは(労働人口の数に比して必要なケアの量と強度にともなう)変革のシフトの中にある。マネージャーはここにこそ姿を現す。WW?後、西欧は福祉国家の建設に動いた。生涯にわたって、全ての人に、必要最小限のものが、保証されている。リタイアメント、公的年金、そしてもちろん税金とあわせて。そのモデルは世代間の連帯責任をベースにしていた(し、現在でもそう)。労働者はその両親や祖父母のケアのために金を払う。それは伝統的な社会において子どもが高齢家族の面倒を見る、という話と違わないのだが、今ではそれが総体としての社会というレベルに影響を与えている。この社会的なお膳立てはそれなりの代償を払う。人口の労働者部分は生産へと寄与することをいかなる形であれ抑制されるべきではない。だから高齢者ケア施設は、家族単位を、それが負っていた慣習的義務から自由にするためにつくられた。留保された見せかけの独立のもとに労働を経済化すること(両親は大人になった彼らの子どもと一緒に引っ越しをしたりしない)がモデルとなっている。その結果、一分の人口の疎外や隔離が生まれた。問題としての高齢、本当の社会的なお荷物は(生産というパースペクティヴから)管理され解決されるべきだ。オランダやその周囲の国家において、こうしたお膳立てにかけられる(財政の)限度は、1960 - 70年のリタイアした世帯(とコスト)の数が爆発的に増加するなかではっきりした。80年代の中盤になれば、政策におけるドラスティックな変化が生まれる。65歳以上のすべての市民に部屋を与えるのではなく、施設から人を離し、なるべく自分の家にいてもらおうというのが政策の意図となる(そしていまもそうだ)。中間にあるケア施設、そしてそのタイポロジーはそうやってまるごと導入された。次なるターゲットはリタイアそれ自体だ。近代社会における学習段階、労働段階、そしてリタイア段階の分析モデルは、より持続的でより包括的なモデルに取り替えられる必要がある。高齢者人口と(可能な)生産とが再び結び合わされ、社会全体における再統合がなされるべきだ。「受容」はここではバズワードだ。私たちはそうした変革の最中にある。


このパラダイムシフトはあらゆる種の変容をともなう。ひとつの住宅から人々の個別的な状況(ひとり暮らし、家族、エンプティ・ネスター【※子どもが巣立った親】、リタイア組、ケア異存)に対する次なる異存へと移行するかわりに、今はそうした現実を引き続き許容するようなひとつの環境が強調されるべきだ。これは社会的な視点から見た、サステナビリティに対するまた別の見解である。建物は伸びたり縮んだりしないわけだから、それとは別の柔軟性が求められる。都市もまた同じ。人口構成(年齢グループや収入別の階層)におけるシフトが経済的社会的現実を変化させるのである。


社会が直面するもうひとつの課題は、認知症、様々な物理的機能障害、ハンディキャップを持つ高齢者数の急激な増加に対する配慮だ。老人ホームは現在デフォルト施設ではあるが、こうした病院のようなエンドステーションは、いまだ判断力がしっかりしている人にとっては恐るべきシナリオとなっている。興味深いことではあるが、トータル・コントロールに対応するタイポロジーは建築家からあまり注意を払われていない。施設の壁の内側をよりよくすることは可能だ。でもマジシャンはそのトリックを必ずしも完璧にやりおおせるわけではないのだから、おそらく私たちは社会におけるこうしたカテゴリに配慮する全く新しい建築をデザインするべきなのだ。


老若の再統合は人類の物理性能へ限定されるだけじゃない。高齢社会に対するより統合的なまなざしは、ゆっくりと浮上している。例えば、保存という問題は専門性の領域から既存の環境に対する統合的な見解へと、つまりいかにしてそれを私たちの必要性と擦り合せるか、といったところのものへと変化している。デザインにおいて「永遠に若い」ということに対する一面的で教条的な焦点化が、高齢消費者という増加するマーケットが調整されたマーケティング戦略を必要としているのにもかかわらず、認められる。「新しい」ものの時代の後、統合の時代は間近にある。社会的役割、年齢グループ、そして諸文化との間にある境界は曖昧なものになっており、その曖昧化は、統合に取り組む戦略としてだったり、より豊かな生活を導く方法としてだったりする。


社会の高齢化にともなう大きな構造変化によって、デザインや建築の立ち位置や役割は変化している。考案されるべき領域はいまだあり得、また必要とされてもいる。でもそれは緊急のことであって、集合的に個別化された野心や目的を再考することでもある。モダニズムのドグマは素材の量を供給することに関わっていた。そしてポストモダンマントラは個別化された表現だ。今や課題は他の基礎的な価値(この号に掲載されている『信頼のデザイン』の中でも掘り下げられている信頼だとか)の位置づけである。死が私たちを分つまで、しかしその一瞬まで、私たちはともにあるのだ。

Volume#27 Fight and Accept 前編


Volume第27号は「エイジング」特集。ぱっと聞くと「保存問題」とか「古びの美学」とかいったトピックが思い当たるが、この序文の旨はさにあらず。さっくり言うと僕らが生きる社会にある解かれるべき諸問題のひとつの根っことして「老化」があるんじゃないの、というメッセージとして読める。前世紀から比べて約2倍になった平均寿命、高齢人口の未曾有の増加はこれまでの社会モデルを大きく変化させる。


で、「老いに対してどうするか」に対して、これまでは「機能していない身体パーツをサイボーグと取り替えよう」になっていた。でもいまはちょっと変わってきている。こんなふうに。

  • 組織を成長させ、完璧な器官を完成させる
  • 遺伝子レベルで細胞における老化のメカニズムをストップさせてしまう
  • 機能の劣化や欠陥を生み出す細胞レベルへの攻撃を止める


「取り替え」がいわば「老化したあとどうするか」を焦点化していたのに対して、下三つの発展は「現象としての老化」の廃絶に焦点を当てている。そしてこうくる「農業革命、産業革命の後には、老化という約束に立ち向かうことが、なされつつある次なる革命となるだろう。」このトピックがややこしいのは、個別的身体の老化と社会的空間的なそれとが絡まりながら論じられるというところにある。だから、この発展がつまり具体的な広がりにおいてどういうことになるのか、ということを考える必要がある。ということでそれは後編。

闘争と受容
エージェン・オースターマン


2007年、金融恐慌が世界を激烈に襲ったとき、どこでも見られた反応は混じりっけなしの驚きだった。数十億、数兆ドルがこんなスピードで消えていくのかと思うと興味すら覚えるほどだ。二度と元には戻らない、と専門家は警告していたけれど、一般的な予測は、そのうち正常に回復するだろう、というものだった。私たちが生きるスペクタクル社会において、私たちは急な社会変化の昂奮に慣れている。私たちはこうしたイベントに対して、マジックを見ているかのように反応する。最初、マジシャンはあなたが見ているすべてがありふれたものであり日常のものであって、タネも仕掛けもないことを見せる。それから、彼はオーディエンスに想像もつかないことでもってびっくりさせる、そして聴衆がいまだその昂奮と戦っているとき、そして深く不安を感じているとき、正常な秩序をとりもどす ―見て、何も変わってないよ、と。これは私たちが好むリアリティの理解だ。よいショー。ということで、ビジネスの話に戻ろう。


私たち自身の状況を理解するにおいて有効な他のリアリティモデルがある。管理的モデルだ。地域的な人口減少、海水面の上昇のような具合に、問題は浮かび上がる ―そういう種類のものごとは、ということだけど。それは伝えられるべきであり、解決されるべきでもある。だれかがそれをしないといけない、でもそれは私の関心事ではない。政府か自治体はこの責任をとらないんだろうか? 私は税金を払っているわけだし。しかもどうあったってそれは私の手の届く範囲の話じゃない。


それぞれの方法で、どちらのモデルもよき安定した世界をつくっている。少なくとも個人的なレベルにおいては。それらはものごとを動かし続けるブルジョワ信念システムの二つの基礎だ。明日は今日よりさほど変わらないだろう。命には関わらない病気のように、(たとえ致命的な病気であっても)混乱は自然になくなり、対処されるのだ。


でも老化に関してはどうだろう? 生きることにまつわる要素のひとつとして、それはつねに生の部分なのだ。それを否定することは無意味だし、それから逃げることができないこともまた確か。ただ、社会スケールに関して言えば、大きな変化は老いの観点から起こっている。先の世紀における人類の平均寿命に対していまではそれが二倍になったわけで、この世紀は他の大きな増加を見ることになるだろう。人口全体に比した65歳以上の人口の劇的な増加とあわせ、そのことが私たちにとって慣れ親しんだ社会モデルを脅かすように、私たち自身の見込みやそのときの義務にチャレンジする。じゃあそのときマジシャンはどこにいて、マネージャーはどこにいるんだろう?


マジシャンは目の前にいる。今やドクターだとか生物医学研究員だとか呼ばれている。そのトリック「あなたは若い―若くない(こわい!)―やっぱり若い」は主としてひとつのうわべだが、身体に対する基礎的な干渉がおぼろげに見えている。機械的な方法(メカニックとしてのドクターと、機械としての身体)によって機能していない身体のパーツを取り替えるかわりに、他のアプローチがテストされている。組織を成長させ、最終器官を完成させること、はそのひとつの方法である。また別に、遺伝子レベルで細胞における老化のメカニズムをストップさせてしまうとか。三つ目としては、この十年間のうちに、この約束の結末は細胞レベルへの予防的な衝撃に焦点を当てる。私たちの生化学的な身体におけるランダムな攻撃は、ゆくゆく機能の劣化や欠陥を生み出す。こうした攻撃を止めることによって、身体は老齢になっても適切に動き続け得る。基本的に、こうした発展は現象としての老化の廃絶に焦点を当てている。農業革命、産業革命の後には、老化という約束に立ち向かうことが、なされつつある次なる革命となるだろう。


後編へ

マチュー・メルシエ(Mathieu Mercier)インタビューその3


その2はこちら

マティユー:
私たちが今まで話してきた問題は、実に多く私の作品に表れている。話してきたとおり、私は自らの作品をかたちの問い直しからなるものとして見ている。でもここでもう一度、私を導いてくれるひとつのシンプルな問いを立ててみよう。組み立てられたものと集められたものとではどう違うか? かたちなきものと、かたちづくられたものとでは何が違うか...これは私が「石膏の杭」と呼び、ジュリアン・フロンサック(Julien Fronsacq)が「墓」と呼ぶ、作品のある種の主題だ。私の作品に割りとよくあらわれてくる物事の進め方として、ひとつの同じ作品において、パラドックスみたいだけど、スムースな仕上げを施されたかたちと、かたちなきものとをどのように併置したいか? ということがある。鏡面仕上げを施された台座に置かれたコンクリートの鋳造物みたいに。ときどき、その結果と対照されるものこそその参照だったりする。『いまだ無題(Still Untitled)』シリーズのように...


ジル:
ある種コラージュのように。


マティユー:
そう。それ以上に、コラージュは、知覚という私たちの習慣と私たちが受け取った智識との短絡として興味を持っている実践だ。最近のもので言うと、溶接でつなげられた巨大な鉄棒とペタンクのボールとで構成されたアサンブラージュ「大腿骨(femur)」がそれにあたる。私が好きなのは、どのようにして二つのオブジェクトがくっつけられたかによって、まったく異なった対象が生み出されるということ。それは根本的に異なっていて、それに形を与えたなにものかにとってもまったく見知らぬオブジェクトが生み出されるということなんだ。私たちはここでもう一度ゴダールを見てみよう。彼が不可思議な等式を思いついたときのことだ。1+1=3 これが意味しているのは、編集の観点から見たコラージュのかたちだよ。つまりイメージにイメージをプラスすることで、観者の心理に第三のイメージが生み出されるということ。

私はとても興味深くこれを見た。なぜなら私の作品は「無からオブジェクトは生まれない」ということを私に知らせてくれるからだ。生み出すとは常に考案することだ。物質を変形させ、再流用し、一緒にしたり、離したりする、でもそれらを何もないところから生み出しはしない。

レディ・メイドは芸術史の中でもっともラディカルな身振りだ。なぜならそれはもっともシンプルでもっとも経済的(私たちが言語の経済性を語るような意味で)だからだ。デュシャンはズレを発生させることでオブジェクトを変形させた。この創造的な姿勢は文脈の単純な変更からなっている。それは芸術作品の生産全体を、そして作品全体を、ある姿勢に濃縮していることになる。ある意味、人は世界に何ものをも足すことはできなくて、それを変形させるしかできないんだ。


ジル:
最後に、君の作品はより抽象的になっているという考えに、そして君が最初に話していた、作品の現前についての話に戻りたいのだけど。


マティユー:
私は自らの作品が過度にリテラルに見えすぎてほしくないし、すべてをコメントし尽くしたくもない。興味があるのは、異なったレベルにあるいくつかの読みをひとつの作品に濃縮することだ。観者は、それが個人的なものであれ公共的なものであれ、日常生活の観点から、しかしまた同時に歴史的な観点からそこに響いているものを認められる。それは芸術の領域に文脈付けされたとき、どのようにして作品は意味を獲得するのか、ということでもある。私が「芸術の領域にしっくりくる」と言ったのはそういうことなんだ。つまりどのようにして芸術作品は芸術の領域で意味を生み出すのか、そしてより広い社会的領域の中で日々の関心を反響するのか、と。でもそれと同時に、その作品はあらゆる解釈に耐えないといけない。そのかたちにおいて単純化できないものとして、こう言ってよければ、作品のポエトリーとして残るんだ。

芸術作品の単純化できない部分は、「それはいったい何なんだ?」という質問からはじまる。それを解釈しようとするんだけど、しばらくして、その努力に抗うものをはっきりと見ることになる。それはある意味で純粋な現前なんじゃないかな。そこに何か神秘主義的なものを見るんじゃなくてね。物質的な現前、解釈しえない塊が。


ジル:
キューブリック2001年宇宙の旅」のような?


マティユー:
キューブリックモノリスっていう読みは神秘主義的だな。個人的にはもっと詩的な性質を持っているんだ。それはお望みとあれば、詩的なオブジェクトが唯一それ自身に言及しているようなオブジェクトである、という点で、ということだ。おかしなことだよ、だって私たちはジュリアン・フロンサックと「大腿骨」について話し、それから「2001年宇宙の旅」を持ち出した、とりわけ道具となる骨を猿が投げた瞬間のことを...そして私たちは想像的な姿勢へと戻る。ひとつの文脈から他の文脈へと、ひとつの目的から他の目的へ...オブジェクトを再流用し、骨を道具へと変えるんだ...