2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

分析が必要だ

ブレードランナー分析。結構形になってきたというか分析した素材をもとに少しずつ話が組み立てられるようになった。嫌いなシーンを何度も観た(コマ送りで)甲斐もすこしずつでてくるかもしれない。金曜はモニュメントまみれになる。モニュメントのイデオロギ…

ドイツっぽい

すごいざっくばらんなメモ。タフーリ『球と迷宮』のワイマールに関する章をさらさらっと読む。タフーリは直接的にミースに言及しているわけではないが、当時の政治的状況や社会的状況に関して参考になる部分が多い。ミースはワイマール期に≪ワイゼンホフ・ジ…

耳組

昨日は視聴覚文化研究会で京都へ。お二方ともプロセスを少しずつ見せていただいていたので、発表に際してどう完成なさったのかに興味があった。中途の過程では原稿を僕も参考させて頂けた。ただ今回はレジュメでの発表だったのでその難しさをひしひしと実感…

分析と告知

作品分析実習。ショット分析にてこずる。うだうだ言う前にとりあえずショット分割せいや、ということでコツコツ何度も見る。頭でっかちにならないためにもコツコツやる。コツコツやるっていうことが多分重要なんだろうと思う。ただ『ブレードランナー』のシ…

反省

ゼミと読書会。結局6時間くらいの長丁場だった。ちょっと最近人の言説を借りながら借りながら喋ることが多くなってる。すごいよろしくない。解釈のバイアスにもなるし。ということで反省する。

帰りました

帰ってきました。東京滞在は二日でしたがなかなか内容の濃いものになった。17日のシンポジウムも興味深く聞かせていただいた。単一のディシプリンから複数のディシプリンへという構図が全体的に共有されていた様子。そして複数化したディシプリンを扱う切り…

東京中です

今東京にきております。これ、コピーしましたMies Van Der Rohe: Barcelona Pavilion作者: Ignaci de Sola-Morales出版社/メーカー: Gustavo Giliメディア: ペーパーバックこの商品を含むブログ (1件) を見るこれです。パヴィリオン再建の指揮を取ったソラ=…

アレクサンダー

3限は演習。アレクサンダーのインディアンヴィレッジの構成要素に関する論文は読了。担当箇所が終わったのでちょっとホッとする。次回からは同アレクサンダーの「都市はツリーではない」を読む。彼はかなりラディカルな人で、前者と後者はちょうど年代順にも…

虚と実

ポルケ行って来ました。とあるお方が子どもたちをガイドされているところを目撃。素直に大人の話を聞くところになんていい子達だ、と思い、彼らの描く絵にすごいな、と思う。あまり見せてもらえなかったが。やはりプライバシーは守りたい様子。ポルケに関し…

モニュマンとドキュマン

4・5限の演習は発表者が5人おり結局僕の発表は概説で終わる。とりあえずリーグルのモニュメント論とのかかわりで、アイデンティティ形成の契機としてモニュメントを見る視座がどう変容していったかをみてみようというもの。リーグル論では観者、対象共に段階…

作品分析実習の発表は何とか終わる。サクサクしすぎて消化不良(皆様が)なことは必至だったがとりあえず言おうと思っていたことは大体言うことができた。結局タチもトリュフォーもそれぞれ所与の事情でお見せできなかったが、先生に紹介していただいた鏡の…

タチとトリュフォーか

明日は作品分析実習でセットと衣装とメイクについて話すので内容を考える。とりあえずテクストではこの三つが個別に割かれているがあくまで便宜的なものである、ということは前提にしておかないとダメだなと思う。あまり映画を見ないので例のストックが乏し…

思案中

モニュメントについての発表をどうしようか考えている。以下メモ乱れ書きカウンターモニュメントの論文は興味深いのだがドイツにおけるホロコースト表象の問題が先に出すぎている。いきおい「モニュメント性」なるものの規定がうまくつかみづらい。「建物で…

アルスとビオス

岡田温司『芸術と生政治』の「ミュージアムとパノプティコン」をさっくりと読んでみた。芸術(アルス)と生政治(ビオス)作者: 岡田温司出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2006/04/18メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (18件) を見る…

モニュメントですよ

以前挙げたヤングのドイツ・カウンター・モニュメント論を来週金曜の5限目に発表することになった。とりあえず長いので分けようと思う。まずは導入部。戦後ドイツにとってのホロコースト表象の問題が鍵になっているのは言わずもがな。ただそうした出来事を想…

どうだろうか

以前レポートで書いた杉本『建築』写真の話をちょっと掘り返してみようかと思っている。というのも建築をボケて写すというその作業がどこか「溶解」という時間的な現象に見えるからである。ボケを修正して見ようとする観者にとって、「溶解」前を想像すると…