クレオールと「強いられる」人

支配者層の言語と非支配者層の言語が接触する。それは同時に各々の言語をその属性とする彼ら自身の接触をも意味する。そうして非支配者層の土地において成立する複合言語をピジン語という。例えばゼンジー北京の片言の日本語「ワタシ〜アルネ」もある種のピジン語であり、これは協和語と呼ばれている。そしてこの複合言語がネイティヴスピーカーを獲得したときにクレオール語となる。

なぜこんなことを書いているかというと今度のテストで範囲になっているからだ。ちなみにテーマは「移動と世界史」。クレオールといえばこの本。

クレオール礼賛 (新しい「世界文学」シリーズ)

クレオール礼賛 (新しい「世界文学」シリーズ)

でも今はここまで深くはやらない。後回し。それにしても移動という概念は世界史においてポイントになる。紀元前三世紀〜三世紀くらいのヘレニズムだって移動の概念抜きでは語れないし、宗教の問題だって移動の観点から考えると面白い。例えばインド‐ヨーロッパ語族。この語族はヨーロッパからアジアまで包括しているが、彼らは「輪廻転生」「汎神論」を唱える。これは仏教やヒンドゥー教に見られる考えかたである。語族分布的にはヨーロッパもこの考え方をしてもいいようだがなぜ「回帰する歴史」「神はすべてに存在する」がヨーロッパに残らなかったのか。答えは簡単に「セム語族が移動してきたから」ということになる。でもこれだけではイマイチよくわからない。つまり彼らの武器となったのがキリスト教なのである。ユダヤ、キリスト、イスラムといった「一神教」の根底にあるのがセム語族観であり、さらに彼らは歴史を「直線的」なものと見る。

こうした歴史観自体を鵜呑みにしては危ないが、それでも「移動」の観点から考えたときいかようにエミグレし、どのように受け入れられたのかに関してなかなか興味深い「事例」だったりする。

ちなみに、キリスト教史においても「汎神論」者はいる、スピノザとか。結局破門されたけど。