手フェチばりに

飛び込みで小林さんのレクチャーに行きました。

手の写真が満載。自分だったらどう解釈するかということを考えながら講義を聞く。手とは身体の中で最も頻繁に動く(動かす)部位であり、最も多くの神経が通るところでもある。例えばそれは自己のアイデンティファイの道具(指紋認識)にもなったりする。こうして個人を表象する一方で、プロパガンダのポスターにおける手やドキュメンタリーフォト等にみられる手とは、そうした状況にいる人々の集合までも暗示するインデックス(?)になる。そしてこれは明確に区分できるわけでなく個人を示しながらも彼/彼女が所属する何らかの集合それ自体をも同時に暗示する。そして手が個人の所有物である限りにおいて、手とは生々しいまでの「もの性」を持つのである。この「もの性」のうちに言葉に表すことのできない何かを含む手は例えば石内都の写真のそれのように生身の人間を浮かび上がらせるのだろう。