帰りました

帰ってきました。東京滞在は二日でしたがなかなか内容の濃いものになった。

17日のシンポジウムも興味深く聞かせていただいた。単一のディシプリンから複数のディシプリンへという構図が全体的に共有されていた様子。そして複数化したディシプリンを扱う切り口もそれに伴って複数化してくるというもの。

フロアからの質問で「それでも芸術を名乗る意味はあるか」と言うものがあった。これはおそらくそうした複数化する切り口によって限りなく生み出される批評という枠組みが「機能」しなくなるということを危惧した質問だったのではないかと思う。ただこれはオルタナティヴに取ってかえてよかったよかった、と言うものではないし、漠然とした状況自体をさすように語を選択しても同じことだと思う。あるいは根強く残るカルト的な芸術愛好等を考えると芸術の看板を外せないともいえる。

もはや芸術は昔のような意味で芸術たりえない状況にいるわけだが、そうしたかつての芸術がなぜ芸術たりえていたのかという事実(とか問いとか)へと現在アプローチしているのだろう。そうした際に見えてくる政治的諸力のまとまりを便宜的に芸術と呼ぶことによって、今度はアプローチする側の政治性がそこへと侵入する。そうした力学的な摩擦が複数化するディシプリンの学際的アプローチを可能にするのではないだろうか。ということで芸術という看板ははずさないほうがいいように思う。プラグマティックな意味でそのほうがいい、と言うこともあるかもしれませんが。

こうした興味深い(佐々木先生は「愉快」とおっしゃっていた)質問もいくつかあり、自分の立場で考えてみるいい契機となった。あつかましいことに懇親会、二次会にまで参加させていただき、東京のハイソな人々とお話することができました。それにしてもシンポのパネリスト(?)の皆様全員キャラが立っているというのは正直すごいなと思いました。