ミシオン・エリオグラフィーク

昨日は同志社で写真研究会。そのなかでも1851年のミシオン・エリオグラフィークに関してのご発表があり、このテーマは個人的に卒論で少し手を出し(てしまっ)たところだったのでとりわけ興味深く聞かせていただいた。

1851年のミシオン・エリオグラフィークとは、歴史的記念建造物委員会なるグループによって、歴史的記念建造物の修復と保存のために、記録用としての写真を撮影するプロジェクトである。ただ実際に撮影を試みたのは、同委員会によって選択された五名の写真家であった。ちなみに彼らは元画家だったようだ。

2002年にミシオン・エリオグラフィークについての展覧会があり、そのカタログも同時に刊行されたようだ。上はその表紙。詳細はコチラ

ただ本発表はこのプロジェクトの写真そのものではなく、そのプロジェクトにいたるまでの経緯に焦点をあてられていた。発表者の方とそのあとお話をさせていただいたのだが、上のカタログ以外の資料がほとんどないらしい。いかなるコードが働き、どのような用いられ方をしていたのか。そもそもなんで建築を撮ったのか、という問題は結構気になるところである。

ちなみにこのプロジェクトは例えば『10+1』23号の五十嵐さんの論で言及されている。詳細は、五十嵐太郎「メディアと建築――建築史の中の写真」。以下はその中でミシオン・エリオグラフィーク(彼はこの呼称を使用しておらず、このトピックに対する紙幅もそれほど多くない)に関する資料として掲載されているもの。