セキュリティもの

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

日本がどんどん危険になっている、という最近よく言われるテーゼがどれだけ誤解に基づいているのかを説いた本。その際の説明にしばしば使用されるデータを挙げ、ナイーヴな読み取りが何を捨象しているのかを指摘しつつ、結局治安はそれほど悪くなっていない/むしろ少しずつ良くなっているというとりあえずの結論をまず提示する。それから、トゥーマッチな過剰防犯がメディア報道によって引き起こされ、治安悪化がひとつの神話として存在し始めたことを宮崎勤にまつわる言説から考察していく。こうして、宮崎アンチ/擁護という「加害者」に焦点をあてた言説から、昨今の「被害者」を慮る言説へのシフトを読み取り、結果「加害者」を「理解不能な怪物」化する風潮が生まれたとする。

ロジックとしては結構シンプルであるが、現行のデータの読解を相対化するこの読み取り自体「ひとつの見方」にしかならないのはパオロ・マッツァリーノ氏が『つっこみ力』第二部でも述べているところである。ただナイーヴな読み取りに対してナイーヴに反駁するだけではなく、犯罪者言説の流れをおさえながらの分析は結構面白かった。どこまで納得できるかは別だけど。

過防備都市 (中公新書ラクレ)

過防備都市 (中公新書ラクレ)

あわせて読みたい本。五十嵐さんはタイトルのつけ方が絶妙なのでついつい手にとってしまいます。


ところで、治安悪化神話によって「過防備」になる結果、防犯カメラが膨大に備え付けられるという論理に少しだけ違和感を感じる。強引ではあるが、ウェブでの「ライフログ*1」みたいな「誰かが(常に)見てくれている/痕跡がすべて残っている自分」に対するアンビバレントな欲望みたいなものもあるんじゃないだろうか、とふと思ってみたくもなる。

またコンビニにおけるログ(記録)の点に関しては、防犯カメラのみならずPOSシステムという曖昧な情報の蓄積なんかも気になるところ。その発展系としてアマゾンの「おすすめ」やグーグルのカスタマイズなんかがある(のだと思う)。防犯カメラの海としての都市が、漸進的にこうした場所になっていかない可能性もない。今都市を考える際、ハードとソフトの曖昧な境界に対する感性が必要になってくるのだと思うし、ポストモダン以降、建築の文脈で真摯にかつ体系的に都市を考える人がいなくなってきた理由もその困難さに由来しているような気がする。

*1:自分の行動をデジタルデータにして全てログに残すこと。参照はコチラ