都市論序説

建築家隈研吾氏とジャーナリスト清野由美氏による東京対談

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

後々探したらここで読めました(集英社新書:新・都市論ウェブ―TOKYO)。早く気づけばよかった。
汐留、丸の内、六本木、代官山、町田の5都市が話題にのぼり、北京に言及してまとめ。東・北田『東京から考える』に似た構造を持った本書は、より具体的に、建築的側面から都市をいじることが今どうして難しいのかを考えるきっかけになります。本書で明言されはしませんが、ポイントは「不動産=建築」という視点の不可避さでしょう。一般論として普遍性を持ちそうな清野氏の辛口コメントがニヒリスティックに響きすぎるきらいはありますが、序論というか「助走」としては結構オススメ。

1)汐留:分裂した都市計画の悪い例
2)丸の内:高層化の実験場、高層ビルが建てられるからくりの紹介
3)六本木ヒルズ:森稔という強烈な個性が引っ張っていった日本では特異な都市計画(は評価すべきby隈)
4)代官山:「余裕」あるクライアントと槙文彦との奇跡的な邂逅により比較的うまくいった過去の奇跡的都市計画
5)町田:都市計画という理念からはみ出すエネルギーを持った都市

最近の大規模プロジェクトは出資源の複雑に絡まった権利関係からリスクを分散する方向にあるとの意見にはポーンと膝をうった。だから無難なプランしか出てこないわけだ。そのいい例が汐留(あるいは隈氏が語るのを拒否した東京ミッドタウン)。ちなみに最後の北京は、決断力を持った主体がちゃんと責任を取りながらプロジェクトを進めている例として挙げられているのだけど、この辺はも少しフォローが欲しいところ(迫さんとか松原さんのような方々にもっとたくさん語ってもらいたいところ)。
「ペイするか」に特化した主体性のないプランでは都市を巻き込むこと自体がきわめて困難になるのは言うまでもありません。クライアントと建築家が互いの顔を見ながら30年という長い時間を熟成期間として持てた代官山ヒルサイドテラスは過去の「ユートピア」だとしても、六本木ヒルズという例外的回答をゴリ押しできた森稔というリードオフマンの出現もこれから先同種の状況はきわめて望み薄にならざるを得ない。そういった主体性がなくなっていく現状をまず意識しておくことの必要性を考えさせられる一冊でした。

おまけ
トーキョー☆ブックマーク