広場恐怖症

今日は学校の授業がなかったので一人でアンソニー・ヴィドラーの論文を読んでいた。彼は今ジョン・ヘイダックが設立したニューヨークの建築学校クーパー・ユニオンでディーンを勤めている。どうもコーリン・ロウの門下生らしい、ケンブリッジ時代の。ジョン・ヘイダック、コーリン・ロウなどの説明をしだすと話の着地点が見えなくなるので省略する。というかあまり詳細は知らない。

で、彼の論文だが、タイトルは「広場恐怖症」。これは40号記念特集の「10+1」に掲載された翻訳であって、オリジナルは2000年に出版された彼の著書『Warped Space』に「Agoraphobia」というタイトルで収録されている。読み取りが浅いので所々曖昧。もう一回読まないと。


広場恐怖症」とは19世紀の終わりごろに精神衰弱症等精神的な病の原因がメトロポリスにあるという報告がなされるわけだが、広場恐怖症自体はどうやらそれよりも前にドイツのウエストファール、あるいはルグラン・デュ・ソールらによって報告されていた恐怖症の一例である。その発作の種類は様々なのだが、主に大きな広場を横切る際に眩暈を引き起こし不安で支えになるモノ、あるいは人がいなければ横断できなくなってしまう、というもの。

この病は小さく、親密で、人間的な規模の空間をもつ伝統的な広場においては発症しなかった。カミロ・ジッテはドイツの広大な新しい幹線道路と伝統的なこじんまりとした広場を対照させ、人物像でさえ広場恐怖症に感染している、としている。というのも、巨大な広場にあう人物像には等身大の二倍から三倍のスケールが必要で、その際に美的精妙さは消えてしまうからだ、と。ウエストファールによるケース・スタディによれば、その患者は家並みに囲まれていない空間にいるほうが都市の中の同じ大きさの空間にいる場合より不安を感じなかった。そして彼らのすべてが空虚がなければ恐怖はなく、保護してくれるものがなければ心休まることはない、と述べた。これを受け「広場恐怖症」よりも「空所恐怖症」(ジェリノー)「空間に対する恐怖」(ルグラン)という命名のほうが適切では、という意見が出された。つまり、この病は都市のいたるところで起きていたのである。

この後ルグランによるケース・スダティにおいて空虚な空間に対する恐怖のほかに人ごみでにぎわう場所に対する恐怖が提示される。続けて、1871年プロイセン軍によるパリの包囲後のパリ市民の行動から、かつで同類とされていた閉所恐怖症と広場恐怖症が別々に取り扱われることとなった。

この症状の原因に対する追求は遺伝的なものであるとする意見がその対立項として挙がった視覚的な環境であるという意見を退ける形で、ウィリアム・ジェイムスなどから「動物から人間に伝わった原初的な残存物」つまり動物的な死の恐怖へとつながるものだという意見などを受けつつ研究が進められる。建築家の職業病としてのそれに対する見解なども受けつつ、しかしながら一貫してその病の都市との関係は崩されることはなかった。

ニーチェの世紀末文化の「女性化」の概念を引きながら、メトロポリタン心理病理学の学者達はこのような不調は「女性的」なものである、としてその患者は女性、あるいは同性愛者が想定された。

反対にフロイト広場恐怖症は遺伝的なものである、という見解に反対する。彼はその原因を「性生活の異常」と結論付けた。友人へ当てた書簡のなかで、通りに出て行くことへの恐怖、窓から落ちるのではないかという広場恐怖症の症状と取られた事象も、それぞれ「売春婦」になるという抑圧された欲望や「堕落」することへの不安に対応するとして、モーパッサンの「合い図」を援用し、窓から春をひさぐ「売春婦」を窓から観察して、自分も同じように振舞いたいという欲望を抑えきれずに行動に移してしまう貴婦人の話を引き合いに出して説明している。フロイトは女性の広場恐怖症とは「公共の」女性/売春婦、という概念、そして「売春に対する嫉妬と同一化」という構造でとらえることができるのだ、と結論付けている。それから彼は不安の症状である恐怖症が幻想に由来するものであるとして研究を進める。

しかし最初の発作のきっかけである都市環境、上の遺伝的な原因の優位性に対する二次的な原因としての都市環境の位置づけを、発作のきっかけであるが故に逆転させて直接的な要素としてとらえる動きも、フロイトやそれを引き継いだラカンによる「ハンス少年」のケース・スタディに関する論文で起こっている。

さてこの都市の環境が広場恐怖症を引き起こす、という図式を意図的に逆転させたのがヴォリンガーであった。つまり彼は広場恐怖の感情が現代抽象幾何学による諸空間を構成したのだという旨の見解を述べたのである。自然に対する原始的な恐怖、つまり事物に幾何学的な抽象性という規則性を与えたいという欲望によって、たゆたうイメージを平面状へと固定させたのである。

ヴォリンガーの意見への賛同としてフロイトやルートヴィヒ・ビンスワンガーは精神障害における空間の同定と定位について述べている。ビンスワンガーはローラ・フォスのケースを挙げ、彼女自身の薄気味悪さのなかに何らかの光(空間的なもの)を差し込む格闘を見る。その空間がなければ彼女は敵意に満ちた空間のなか、不当なまでに小さい親しみのある空間しかもてなくなり、そこにおいて彼女はとるべき距離、そして自由を喪失することになる。つまり恐怖症の発症であり、この距離の観点に関してヴァールブルクのケースが示唆に富んでいる。彼もまた広場恐怖症であり、その治療として理論的な研究に没頭していたわけだが、彼はアメリカ南西部のプエブロ族の蛇儀礼に大きな関心を注いだ。蛇という小さな恐怖によってそれよりも大きい「何者か想像し得ないほどの」恐怖を鎮める効果をそこに見る。
これは恐怖症においても同様であり、その「広場」恐怖症などの命名行為によって世界を支配する準備を用意しているのである、としている。つまり「理性」が自然の魔力と恐怖症的な主体との間に十分な距離を与えるのであり、理性と内省の空間が未知のものからの隔離、あるいはその理解をもたらしてくれるのである。

そして、現代の電気支配による距離、内省、等の破壊にヴァールブルクは、自ら症状の発作をもって、空間的な理性の瓦解を読み取る。