オレンジ革命もあるし

靖国神社に関する本を読んだ。高橋哲哉の『靖国問題』というのがそれである。今回はそのことを踏まえてちょっと書いてみようと思う。ちなみにあらすじは備忘録的にメモしてあるのでかなりおおまかである。毎度のことだが。

この書は五章からなっている。第一章では感情の問題から靖国神社が戦死者を祭神として顕彰することで戦死の悲しみを喜びへ、不幸を幸福へと変化させるシステムにあることを述べている。第二章は歴史認識の問題。靖国の問題をA級戦犯分祀の可/不可の次元へとスライドさせることは戦争責任の問題へとこれを矮小化させてしまうという旨である。そして第三章は宗教上の観点から靖国神社の宗教法人格撤回の不可能性を説いている。この章では同時に日本における「神社非宗教」という考え方によって各人の宗教と靖国神社とか両立可能とされたことが挙げられている。このことによって各宗教の教義が靖国信仰に短絡されてしまったと論じられている。第四章では文化の問題から。靖国神社に合祀されている戦死者の点から敵国の戦死者、あるいは民間の戦死者がなぜ合祀されていないのかという問いを説いて行く。そして第五章ではこれらの観点から靖国神社を取り上げてみたときに浮かび上がる国家の政治的意図をとりあげている。新しい戦死者追悼施設を無宗教的に設立したとしても結局のところそれをどう国家が位置づけるかによって容易に「第二の靖国」化してしまうのである、ということである。

僕が靖国の問題をとらえるときにどうしても考えざるを得ないのはこの「国家の政治的意図」である。端的に言えば靖国問題を外交政治的なカードとして使用している、ということだ。この文脈においてその相手国とされるのはやはり中国か韓国だろう。こうして様々な外交問題を暫定的に靖国一本化しておくことのメリットがそうしないときのデメリットを勝ったと考えるのが妥当だろう。そしてさらに広い視野から鑑みれば日本国内、そして中国や韓国の国内の政治に関しても靖国という大きな「のどに引っかかった骨」を提示しておくことによって幾分かのメリットがあるのだろう。簡潔に言って一方に中国、韓国があり、他方に靖国の地位低下を免れたい遺族会が国内にある。この二者による綱引きのような現状をデフォルメして靖国を浮かび上がらせることによってその他の問題を靖国問題の影でうまいこと運んどく、というのは単純な陰謀論に過ぎるだろうか。

日本のアジア外交の課題としては中国で止まることなく、ロシア、ウクライナを含む東アジアをも見据えなければならない。アジア外交といったときに中国、韓国との靖国問題がいつまでものどの骨では元も子もないだろう。いつ抜くのか、何をきっかけにして抜くのか、という点が気になるところである。そしてこの「骨を抜く」ということは必ずしも「国内外のわだかまりのない靖国問題解決」ということを指すのではない。

というのをいつもニュース見ながら思っている。大事な論点を飛び越してる感もあるが時事問題はずっと苦手なのである。

追記
morohiro_sさん、お子様の誕生おめでとうございます。従兄弟の夫婦も今年の末くらいに第一子の誕生が控えているようです。あまりご縁もありませんし自分のブログでこんなこというのも不躾ですがお祝いの言葉を送らせていただきます。