ヴェンチューリはラスヴェガスに学ぶ

そういえばヴェンチューリの言っていた「decorated shed<装飾された小屋>」とはなんだったかなとふと思ったので調べてみた。

Where the systems of space and structure are directly at the service of program, and ornament is applied independently of them.

ふむふむ。そしてこれに対比して「duck<アヒル>」が定義される。

Where the architectual systems of space, structure, and program are submerged and distorted by an overall symbolic form.

そもそも「アヒル」「装飾された小屋」とはどちらも建築の形態である。

Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)

Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)

*1ヴェンチューリは『ラスヴェガスから学ぶこと』において建築とはこの二つの分類に区別できるとした。そして「アヒル」を象徴性を持つ建物、一方「装飾された小屋」を象徴を適応する建物とする。具体例としては「アヒル」に関しては中川理著『偽装するニッポン』中に出てくるカエルの形をした公衆便所などが考えられる。ヴェンチューリの「アヒル」も同じようなアヒルの形をした商業建築から取っている。では「装飾された小屋」とはどんなのか、というと藤森照信が言うような「看板建築」なんかがそれにあたるのではないかと思う。要するに空間や構造のシステムはその機能(プログラム)のもとにあるのだが、その「看板」としてのファサードは特にそれらに関係なく存在する。

で、この「看板建築」のファサードの書割っぽさに「書割→ポチョムキン→ロース」というつながりを見てしまったりする。ただ、ロースのそれとヴェンチューリの「装飾された小屋」には前者が政治性、後者が商業性であるという違いはある。

閑話休題ヴェンチューリは「アヒル」と「装飾された小屋」の二つのうち後者を選択する。これは彼のポストモダニズムのポーズ*2と照らし合わせてみるとよくわかる。要するに機械という象徴を建築に投影したモダニズムはその惰性的プロセスによってその象徴的形態がすべての建築的システムをサブマージュさせてしまったというのである。

「装飾された小屋」の支持によって内部空間と外部空間の非連続性がもたらされる。ただこれはモダニズム以前にも見られたことである。それよりもアンチモダニズムという観点からは幾分有効であったこの二分法が今いかなるアクチュアリティーを持つかという点で考えていくべきだろうと思う。

*1:邦訳も出てるのですがなぜか原書が家にあります。ということで先の引用は双方原書からです。

*2:ミースの「less is more」を文字って「less is bore」といったのは有名な話