電灯の根源
ゴタゴタしたと昨日のエントリで言っていたことが今日解消した。
「ほげーっとしてしまった」一因に机の上の電灯が壊れたことがある。遡ってみれば高校生くらいの時から机には電灯がついていて読み物や勉強するときは大体机に向かって電灯をつけるというプロセスに従っていた。はじめは手暗がりになるので電灯をつけていたのだが、だんだんそれだけには留まらない何かしらの効果が及んでくるようになった。事実夏になると結構暑くなって邪魔になる。暑すぎるくらいになると一旦消したりするのだがやっぱりどことなく気が散ってつけてしまう。そんなこんなで「机に電灯」という不思議な規則が刷り込まれて今や机の電灯は僕にとって呪物的なものになってしまったきらいがある。ほげーっとしたのはそういう理由。
買い換えようかなとも思ったのだがしばし思い直してハンズで材料をそろえて自ら直してみた。カチッとスイッチを入れたときに机の上に灯が落ちるのを見てやはり電灯は必要だなと思った。つけた瞬間に過去のいろいろな記憶が断片となって云々かんぬんなどとひとしきり思ったのだが研究室で勉強するときは電灯が無くても結構集中できている。なにかしら無意識的な何かが働いているのだろう。
そうそう、無意識で思い出した、「神経系都市論」での空間に関してベンヤミンの『パサージュ論』を読んでみようと思ったのだった。でも日和ったので鹿島さんの『「パサージュ論」熟読玩味』に寄ることにした。
- 作者: 鹿島茂
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2004/05/10
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (9件) を見る