ヴィドラーおしまい、とりあえず

ヴィドラー読書会終わり。空間の暴力性が「いま−ここ」性、つまり瞬間性、そして同時性につながるプロセスがつかみづらい。この読了後のしこりはヴィドラー論文の書き方のせいってのもある、はず。でももうちょっと頑張ってみる。

その後先生とお話してマッシモ・カッチャーリを読んでみてはどうかねとアドヴァイスをいただく。

必要なる天使

必要なる天使

どうやら邦訳はこれしかない。表紙の絵は有名なあれですね、クレーの。ベンヤミンが生涯肌身離さず持っていたという絵。これについてのヴィドラーの論文もあるのです。