12時間

今日は12時間学校にいた。つかれた。

4・5限の授業はモニュメンタルに関してのもの。「民謡」の「保存」に関して。ちょっとうまく論点が把握できないままだったので非常に稚拙な意見を述べてしまったのですが言いたかったのはおそらくこういうこと。つまり「民謡」という定式化が起こった時点で「民謡」の起源はカッコつきのモノとなる、つまり定式化された「民謡」がそれ以前の「うた」を物語るいわばナラティヴを形作るからである。こうした際に真正な起源を探すよりも、そこで起こった定式化や「保存」のダイナミズムを見るべきではないかと思ったのです。20世紀初頭の日本という「日本的なもの」を追求した時代意志が「保存」の名の下に為した行為がいわば「観光」や「故郷」というものに対してどう影響したのかというところに僕は興味があります。もちろんそうした際により根源へと遡ることが重要であることは確かですが。


以下参照になるか分かりませんが磯崎『建築における「日本的なもの」』より「イセ――始原のもどき」に関するメモ。

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」

伊勢神宮の式年造替は7世紀にその起源を持つとされる。この始原によってそれ以前の「起源」に関するナラティヴが生まれる。さらに15世紀あたりから100年近くにわたって造替の断絶が起こり、再建が始まることによって神宮のデザインが定式化された。この際に以前仏教寺院と類似して混交していたディティールが排除され、より統一的な建築が目指された。こうして年代によって多少の差異を伴いながら20年毎に始原が繰り返される。そしてこのプロセスにおいて常に繰り返される始原のむこうに「隠されたもの」を見出そうとする。こうした手続きや構造的なレトリックによって「神」という存在を遠ざけることで、逆に神聖なものを浮かび上がらせる。そして定式化の際の各要素から中国の輸入物を除くことによって「日本的なるもの」というイデオロギーが発生しやすい(結び付けやすい)状況が生まれてきたのである。