12時間
今日は12時間学校にいた。つかれた。
4・5限の授業はモニュメンタルに関してのもの。「民謡」の「保存」に関して。ちょっとうまく論点が把握できないままだったので非常に稚拙な意見を述べてしまったのですが言いたかったのはおそらくこういうこと。つまり「民謡」という定式化が起こった時点で「民謡」の起源はカッコつきのモノとなる、つまり定式化された「民謡」がそれ以前の「うた」を物語るいわばナラティヴを形作るからである。こうした際に真正な起源を探すよりも、そこで起こった定式化や「保存」のダイナミズムを見るべきではないかと思ったのです。20世紀初頭の日本という「日本的なもの」を追求した時代意志が「保存」の名の下に為した行為がいわば「観光」や「故郷」というものに対してどう影響したのかというところに僕は興味があります。もちろんそうした際により根源へと遡ることが重要であることは確かですが。
以下参照になるか分かりませんが磯崎『建築における「日本的なもの」』より「イセ――始原のもどき」に関するメモ。
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