どうだろうか

以前レポートで書いた杉本『建築』写真の話をちょっと掘り返してみようかと思っている。というのも建築をボケて写すというその作業がどこか「溶解」という時間的な現象に見えるからである。ボケを修正して見ようとする観者にとって、「溶解」前を想像するという作業によって逆説的に素材となった物質の物質性を意識させることになるのではないか、と考えている。素材と物質の関係性を建築の流れにおいて追っていく必要がある。鈴木さんの論考は示唆的。

今日先生と話していたのだが、BTに杉本論が一本載っているらしい(名前失念、緒川さんだったかな)。また機会があったときにコピーさせてもらうことにして、杉本、浅田(「写真の終焉」だったかな)、緒川(?)の三者をあたってみようか。