ホセですが

昨日の美学会はシンポジウムからの参加。

建築史家の鈴木博之さんの発表は近代におけるナショナリズムの問題と、近代建築の普遍性の問題とが同じ近代という境界設定にもかかわらず噛み合ってないのではないかという指摘を含む、すっきりした分かりやすいお話だった。ナショナル・アイデンティティの確立と外からの輸入の問題は日本の1920年代の問題構成に重なってくる。伊勢神宮の20年毎に立て替えるシステムが「全く同じもの」ではなく、より「日本的なもの」へと純化させていくプロセスだったわけだが、その手法に関しては案外中国から(?)の影響がみてとれる。いわば必ずしも「日本的」だったわけではなく、そもそもそんなものは存在しない、という次の岩城先生のラディカルなお話と重なる部分が多かった。アイデンティティをオーセンティシティへと読み替えて過去の文化を相対化できるようにした、という流れもこうした文脈の中での戦略的な振る舞いから読み取ることができるんじゃなかろうか。

終わってからは東西研究者飲み会(形的にそうなったのですが)。前のエントリでも触れたフォーティの『言葉と建築』を共訳されている天内さんとお会いできたのはとりわけ貴重だった。分離派を研究されているらしく、今度『新建築』でフォーティ訳の監修をされた坂牛さんとのご対談があるらしい。必見ですね。はてなでブログをつけている人が多かったらしく、名前よりもidの方で覚えてしまった人もいるid:kasuhoさんとか。スペインに留学されていたらしく、この前行ってきましたということからミースのパヴィリオンは結局どこがすごいのか、という話になった。盛り上がっていたのだけど席替えタイムになってしまったので続きはまた今度。いつもはお会いすることの難しい東京の方々と関西の飲み屋(「逢坂」、おしゃれな選択ですね)でお話できたのは率直に嬉しかった。一丁前に名刺なんかももらってしまった。