美学会に行ってきました

sakakibara19842006-10-07

大阪で美学会の全国大会がやっていたのでいってきた。三つの教室で各々のプログラムが同時進行していたのでちょっと音楽フェスティバルみたいだった。先輩方の発表を聞かせていただきながら、写真、CG、文学、神学なんかのご発表にもちゃっかり参加していた。気づいたら朝10時から夜6時半までずーっと聞いていた。

京大の方がバルトの『明るい部屋』を読み解きながら写真のリアリティについて言及されていた。記憶や情念と結びついた「真実性」を通して提示される写真の「実在性」という構図だったわけだが、これは建築写真にも適応することができるのだろうか。

上の写真はミースの《クレラー=ミュラー邸》1分の1模型の写真である。彼はこの模型写真をとある展覧会へ送っている(落とされたらしいけど)。さて、散々言っているミースの物質性とはすなわち即物性のことであり、これは先日ちょっと書いた表象と物質とのズレとかかわっている。即物性とは「それ以外のなにものでもない」ということであり、あるモノはそれ以外のなにかをすべて否定して最終的にそのモノへと行き着くのであり、これがいわば遅れとして(つまり)ズレとなる。ミース自身がこの即物性を追求していたわけだが、この模型写真の被写体となるハリボテの建築において、物質のもつ物質としての性質を逃れているぶん逆説的に「それ以外のなにものでもない」という即物性を獲得しているのではないか。コールハースがミースにとっての転回点だったと称するこの模型プロジェクトの写真を、ほかならぬミースが見て、重要なものとして展覧会への出品をなしている。こう考えると、このハリボテの建築、ひいては建築模型が持つリアリティが、その写真を見て云々するミースという主体を通過することで現れてくるということができるのではないだろうか。

と考えている。仮説なのでもっと調べないとダメだけど。