アヴァンギャルドなミース
1910年代後半から1920年代のミースはかなりアヴァンギャルドだった。かなりさっくりと図式化して考えてみると、1919年「ノーヴェンバーグルッペ」(「11月集団」と訳したい)→1923年「G」となる。前者はベルリンの前衛集団で(2、3見た紹介サイトにはミースのクレジットがない)後者はハンス・リヒター、エル・リシツキー、ヴェルナー・グレーフらと一緒に活動していたらしい。1921年にはリヒターの紹介でドゥースブルフに会い、彼を通して「デ・ステイル」との交流がある。ここで多分モンドリアンとかベルラーへにあっていると思う。
- 作者: レイナー・バンハム,石原達二,増成隆士
- 出版社/メーカー: 鹿島出版会
- 発売日: 1976/01/01
- メディア: 単行本
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アメリカとの関連で見てみると、ベルラーへが10年代にアメリカに行ってライトの空間性に影響を受けたことがポイントになってくる。実際彼は著作と実作でそれを示している。ミース自身ベルラーへからの影響は認めているのでここは見ておこう。あと17年にはベルリン・ダダがマンハッタンにあるバーナムの「フラットアイアンビル」を機関紙『新人類』の表紙にしている。
ミースに話を戻すと、「G」では「ガラスのスカイスクレーパー」「コンクリートのオフィスビル」「コンクリートの田園住宅」を機関紙『G』に載せ、文章も残している。ミースが文章を寄稿した雑誌としてはこれと、あとは1922年にタウトが創刊した『ヒューリヒト』が挙がる。後者にはガラスについて書いている。ちなみにこのあたりの文章はこの本で読める。
- 作者: 阿部公正
- 出版社/メーカー: 彰国社
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というのは完全に感化されるわけではなく、入会や脱会というポリティカルな態度表明をうまいこと利用していたのではないかなと思うのである。そのうえちゃっかりパブリシティも戦略的に使っているわけだから侮れない。グロピウスとくっついたり離れたりするのは結構アンビバレントで判断しにくい。実際ミース自身後年校長になっているし。ちなみにモホリ=ナギとはあまりうまくいってなかったらしい(あまり関係ないが彼の奥さんにミースはナチがらみで散々こき下ろされることになる)。
後年やたら静かなミースがこの辺の過去をはぐらかしながら淡々と語る様は読んでいていやーな気分になる。