間違い探し

この二枚は同じ構図からバルセロナ・パヴィリオンの小さい方のプールを映したものである。おわかりになるだろうか、右のほうにはライトグレーのエアブラシで色付けがなされている。そして左端がトリミングされている。

そしてこの右側が一般的に流通のメインストリームに載ったほうである。ネルソンはこの点を指摘しながら間違いなくこの加工にはミースが噛んでいたと述べている。「貪欲に」というような副詞までついていたような気がする。ミースが死ぬまで、オフィシャルなパヴィリオン紹介にはミース自身のゴーサインと写真規制が必要だったことを考えるとなんとなくうなづける。


あと表象関係の人たちはパヴィリオンの効果などを「モンタージュ」や「コラージュ」の観点から読んでいく(上から見て基礎、柱、壁、屋根、プールを思うままに並べた、とかその限りにおいて地が存在しないとか)が、ドッズによると、それよりもマックス・エルンストの「フロッタージュfrottage」のほうがうまく説明できるのではないかとのこと。おそらく具体的な製作技法の点ではなくある種のメタファーとしてだと思う。そしてこの「フロッタージュ」はダリの「偏執病的批判方法」との類似性を見て取ることができる。合理的判断が排除され、且つ「作者」のコントロールが部分的に減少し、見ようによってはどうにでもとらえることができる、というところだろうか。

そしてこれは要するに「自動筆記」ということだろうか。だとすると製作の現場に否応無く絡んでくるはずだが、プロセス中の彼にそういう特色は認められない気がする。少なくとも彼はある面で一貫していたはずであり、それは例えばフォトジェニックにすること、ということだったのではないかとうっすらふんでいる。