パラ・アーキテクチュアル
ほしかった資料が手に入った。
――『建築文化』2002年4月号:田中純「ミースの年 その建築の面影」
――『10+1』第8号:大島哲蔵「写真者のテクスト」
――『10+1』第3号:八束はじめ「現代建築におけるノーテーションの冒険」
田中さんの論では2001年のミース展カタログ『Mies in Berlin』於MoMAの批評がなされている。ミースに関しては『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』をすでに出されているので、事後的な反省も込められて、ミースという問題圏が建築に収まるものではないということを注意されている。コロミーナやケトグラスといったミース解釈におけるスペイン勢の頑張りなんかもさっくりと語ってらっしゃるので目を通しておいた。
大島さんは『SQUAttER』ですでに建築写真を論じていらっしゃるが、その補遺としてこちらも参照してみる。
八束さんのはヴィドラーがチュミの《ラ・ヴィレット》を論じた際に使用した「パラ・アーキテクチュアル」という概念を批評しながら用いられていたので参考に。
この本の中の「トリック/トラック」を参照のこと。「パラ・アーキテクチュアル」とは要するに現場で見るよりもノーテーションとして、つまり図面の上で見たほうが分かりやすいということである。例えばミースは「スカイスクレーパーはその大胆な構造を建設中に露呈する」といっており、これに外壁がつけられると凡庸になってしまう旨を指摘している。この考え方はまさに「パラ・アーキテクチュアル」である。建設というなんだかよく分からないプロセスを卒論の核にしているので、これはチェックしておくべきだ。