バウハウスとミース

先日の発表でご指摘をいただいたところにミースとバウハウスの関係がある。ちょうど知人の家にこんな本があったのでサラサラ読んでみた。

バウハウス (タッシェン・建築デザインシリーズ)

バウハウス (タッシェン・建築デザインシリーズ)

1930年の夏頃に校長就任したミースは、先任のハンネス・マイヤー辞任にまつわる校内のゴタゴタ整理からはじめなければならなかったらしい。ドロステのミースに対する記述はどう冷静に読んでも否定的なものであり、実際彼のやり方は学校をロックアップしたり団結する学生を全員辞めさせたり警察を呼んだりと穏やかではなかった。

こうした彼自身にまつわる記述とは別に、彼の就任後興味深い点は以下の二つがあげられる。まずはデッサウからベルリンに学校が移転したこと。そしてもうひとつは写真部門が広告部門から独立したことである。ミースと共同プロジェクトを残しているリリー・ライヒとルートヴィヒ・ヒルベルザイマーの二人がベルリンへの移転にともなってバウハウスに講師として招かれていたりしている。

ただあまり深いところまではつっこまれていない。ミースが校長をしていたということにまつわる記述としては例えば以下。
シュルツの伝記

評伝ミース・ファン・デル・ローエ

評伝ミース・ファン・デル・ローエ

八束さんのアンソロあと未読だがケヴィン・ハリントンがミースを教育者としての建築家という観点から論じている
Mies Van Der Rohe: Architect As Educator

Mies Van Der Rohe: Architect As Educator

こういうのもチェックしておこう。前買ったままあまり読まずにいたエクスナレッジ増刊号。[rakuten:book:11306369:detail]