ぬっとあったものと、ぬっとあるもの―近代ニッポンの遺跡

ぬっとあったものと、ぬっとあるもの―近代ニッポンの遺跡

サブカルの企画モノかと思いきや論文集。図版も割と充実。ということで結構面白く読み終えた。98年出版だからもう10年くらい経つわけだが、「ぬっとしたもの」から現代を考えていこうというテーマである。

ここでいう「ぬっとしたもの」とはなにか。それは規格外にでかいという共通性を持ってはいるがうまく言葉にできない違和感を喚起するもの、という曖昧な定義のままにとどまっている。というわけでそれぞれの掲載論文が扱う対象は「巨大仏」「塔」「回転する展望台」「屋上看板(あるいは屋上の物体)」「ゴジラ」「煙突」「城」「山」「神」と見事なまでにばらばら。ちなみに執筆者には木下直之橋爪紳也石山修武などなどが並ぶ。読了後どうにも割り切れない気持ちでいっぱいになるのは各論考のせいではなく、いわば一人歩きするかのような「ぬっとしたもの」に気をとられるからである。

無意味なまでにでかい、通常のスケールを超える。こうした「ぬっとしたもの」はわれわれにとって咀嚼しきれない異物である。合理的判断からすっとすり抜けるようなもの、「浮いている」とか「手に負えない」とかいうものが「ぬっと」現れるのではないだろうか。そしてこの「ぬっと」という副詞に込められた時間性は、おそらくわれわれの咀嚼のスピードが追いつかないというまさに不意打ちの意味が込められているように思われる。

合理主義的近代建築が内に抱えた非合理物件、というようなギャップが肝か。ポストモダン(本書ではほとんど言及なし)はその点あざとすぎるから「ぬっと」しないのだろうか。「ぬっとする」、裏建築史を考える上でインパクトのあるキーワードである。