住宅モノ

新編 住居論 (平凡社ライブラリー)

新編 住居論 (平凡社ライブラリー)

ダイワハウスコンペの審査員でもある山本理顕氏による住居論。「新編」とあるように、本書では1993年『住居論』以降に書かれた最近の論も収録されている。逆に古いほうは、氏の修士論文「住宅シミュレーション」が最も古くて1970年。本来原広司研究所に帰属すべきだが、という前置きとともに提示される同研究所の一員として山本氏が参加された集落調査のフィールドノートが1970年代初め。これが「領域論」としてまとめられている。

多様な論文が収録されている本書は大体二つの大きな読み方に分けられるか。ひとつは対策の提示、もうひとつは定義である。常に理想像として(リビングでみんなが団欒する一家、とか)考えられざるを得ないあくまでも仮説的家族像から実体としての家族が乖離していますよ、家族というのはなにも特権的な共同体ではないですよ、という主張を問題として立てる。じゃあこの「家族」という共同体を相対化するために空間の側から規制をかけよう、という提案のなかに氏の具体的な対策法・考え方を読んでいくというのがひとつ。氏のプランにおいては「コモンスペース」の配置が大切になるのだが、これが集落調査のフィールドノート、「領域論」から展開するという意味ではわざわざ前置きしてでも収録したかった意味が分かる。要するにプライベート/パブリックの「/」にあたるところが「閾(しきい)」としてある。そして「共同体」(≒「領域」、と考えられるだろうか)とは固有の「閾」を持ち、「行為」なるおおまかな区分から見忘れられがちな「ふるまい方」のコードを共有するものである。となれば、「家族」という共同体を住宅において相対化させたい氏にとって、多様な共同体との接触場所となるべき「閾」(コモンスペース)がその住宅において占める位置が大事となる。本書で対策が提案される問題は、その多くが集落調査を契機としたものであって、そういう意味ではいきなり第四章「領域論」から読んでも面白いかもしれない。

藤森照信の原・現代住宅再見

藤森照信の原・現代住宅再見

藤森さんによる、日本モダニズム住宅のプロトタイプとなっただろう物件を紹介する一冊。短いけど含蓄のあるエッセイと、下村純一氏の写真とがうまくマッチしている。個人的には川合健二『ドラム缶の家』が収録されていたところに惹かれる。

これがそれ。愛知県の豊橋にあるらしい。実家帰りついでにしては遠いし、ちょっと微妙な距離だけど見に行ってこよう。この建物に関してはまた項を改めて書いてみたい。