カルヴィーノの都市批評

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

イタリアの作家イタロ・カルヴィーノによる1972年の「書」。マルコ・ポーロフビライ汗との対話、マルコ・ポーロによる架空の55都市の物語りによって構成され、「小説」と呼ぶべきか「散文詩」と呼ぶべきかそれとも・・・と考えているうちに終わる。物語を語るマルコ・ポーロが執拗に描かれている点では物語論としても読めるが、建築の分野ではひとつの都市論または都市を巡る記号論、あるいは文明論としても読まれたりしている。個人的にはもうそういう読み方しか出来なかったわけですが。
素材の美学―表面が動き始めるとき… (造形ライブラリー 02)

素材の美学―表面が動き始めるとき… (造形ライブラリー 02)

12の書を一章ごとに取り上げながら素材とわれわれとの関係について問いを提示していくエルウィン・ビライ『素材の美学』の一章で、カルヴィーノ自身による講義書が参照されている。そこでこの本が孫引きされている(説明するとややこしい)。
カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ

カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ

「抽象的な図式に偶然の出来事を圧縮する」、「事物の感じ取れる様相をできる限り精密に伝えられるよう言葉に緊張を強いる」という二つの方向に可能性を見出すカルヴィーノフビライ汗とマルコ・ポーロのそれぞれに前者と後者の役割を与えている。

均質なチェス盤の上に駒を配置するかのように都市を見るフビライ汗にとって、都市とは要素の操作方法のみの問題となる。つまり「抽象的な図式」としてのチェス盤に偶然性を詰め込もうとするのである。他方マルコはあくまでもそこで「生きられる」都市をより精密に伝えようと試みる。たびたび挿入される二人の間の確執がこの差異を文字通り表しているわけだが、これはそのまま近代都市計画に対する批判としても読むことができる。ここではもはやアレグザンダーの「セミラティス」でさえその図式化可能性によって「静的」なものとなる。あえて言うなら、より人間の振舞い方へと焦点を当てた『パタン・ランゲージ』が本書と近似をなすのではと思う。

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

こうした批評的観点を離れてマルコの言葉へと目を移せば、都市を記憶すること、それを物語ることへの省察が繰り返される。あらゆる都市を語りながらも「(生まれ故郷である)ヴェネツィアのことしか語っていないかもしれない」マルコの身振りから、そもそも都市を生きること自体が極めて不安定な力学の上に成り立っている行為なのではないかと思わせる。都市を考察する際に、多角的な問題を喚起する本書は、優れた都市批評として機能してくれそうだ。