最も静かなデコン

坂本一成 住宅-日常の詩学

坂本一成 住宅-日常の詩学

露出が極端に少ないのでメディアで彼の姿を見る機会はほとんど無い(あ、とあるサイトにインタヴューが)。「プロフェッサー・アーキテクト」と世間では呼ばれるように、「坂本先生」という呼び方がしっくりくるたたずまい。そのキャリアをおそらく意識的に住宅に絞りながら、それでいてクライアントとのコミュニケーションに埋もれることなく、制度としての「建築」を問う建築家。その探究の強度はほとんど執念的といってもいいのではないかと彼の論を読むたび思う。彼の言説は常に「検証中」であって共にその問いの中に引き込まれていく感がある。その意味ではとても「読みにくい」。

冒頭に挙げたのは60年代後半から2000年あたりまでの建物や評論を網羅した一冊。「閉じた箱」から建築をはじめ、「ボックス・イン・ボックス」という入れ子構造によって住宅の中に特異なヒエラルキーを生み出そうと試みるところから、彼がどのように考えを進めていったのかがつづられている。必ずしもストレートな思考経路をたどるわけではない(「読みづらい」)彼がそれでも常に問い続けるのは「建築という意味(制度)からの解放」であり、平面図からだけではどう見てもオーディナリーなプランの中に違和感をもたらそうとする手法が見える。「ボックス・イン・ボックス」という包含関係への志向性も、それによってできあがる「大きな空間」と「小さな空間」との二つをつなぐのではなく対立させることで全体の中に新しい動きを生み出そうとする試みであると言えるだろう。その試みを象徴するかのように、彼のプランには具体的な名前を持った「室」が存在しない。

そして彼の建物の外観はなんともそっけない。これもおそらく意図的に自作の「オブジェ化」を免れようとしているかに思われる。ちなみに、環境から切断され、その建物自体がオブジェクトと化してしまうことに対抗する建築家としては隈研吾がいる。言うは易し、行なうは難しを身をもって示してくれる一冊。

反オブジェクト―建築を溶かし、砕く

反オブジェクト―建築を溶かし、砕く

住宅というきわめてプライベートな領域に存在するビルディング・タイプに関し、坂本氏はそれが最も「建築」に到達できるものであるとする。建築というわれわれの身体や精神をそこへと沿わせる規制を操作することで、新しい「日常」へのアクセスを開いていこうとする。「建築の解放」とはつまり「われわれ自身の解放」のためのものである。彼はそういう意味では最も静かなデコンストラクティヴィストであろう。