レクチャー建築意匠第五回

「レクチャー建築意匠」の後期が始まりました。前回は7月、都市論についてだった。後期一発目は「日本の現代建築の主題を追う」がテーマ。テーマがテーマだった。講師は奈良女子大の山本さん、ゲストは京都工繊の笠原さん。人のいりがすごくて立ち見の人も何人かいた。

まずは山本さんのレクチャー。磯崎新による「形式の純化によって建築が自律化していく」という言葉を引きつつ、70年代、80年代、90年代以降と区分して、それぞれのキーワードや建築物を概観していった。で次の笠原さんは「形態論的/意味論的」というテーマで、この二項(建築言語に寄る/建築外の状況に寄る)をどう振れながら戦後以降の建築が移行していったのかをざっくりと見ていった。笠原さん自身は外在の状況が背景に退くことで急速に「いらなくなりやすい」意味論的建築よりも、かたちとしての強度が高く、後に残りやすい形態論的建築に比重をおいている。

近代建築史

近代建築史

笠原さんはこの本でも一章担当されてます。ちなみに「形態論的/意味論的」という二項が、必ずしもガチっと分けられるわけではなく、互いが互いを内に抱えていることは注意しないといけないわけですが。
で、個人的な思いとしては、というか自分の興味は、建築の形式を成立させてきた「条件」を疑ってみるということにあります。こうした複数の条件群を「プログラム」といったりする、のかな(個人的にはこういう意味で使っていたりしますが)。もちろんその成立の原因が建築外(社会・経済とか?)にあることもあるわけで、それを反映していれば「意味論的」にもなりうるだろうし、その原因が建築内のお決まり(間仕切りとか壁とか?)にあれば、「形態論的」にもなり得るのではないでしょうか。ようは、「プログラム」を考えるとこの二項でうまくとらえがたいものがあるということです。というよりも、そもそも、この二項で建築史を考えたとき、おそらく事後的に振り返ってしか判断できないわけであって、「形態論的か意味論的か」の振り分けには「結果的に」という条件が付いているのではないかと思っています。おそらく「使用者」というその建物がいかに使用されるか、という要素に対する重視があるためではないでしょうか。