どこかしらへ向けたゆるめの助走―その1
ながかった
- 作者: ローレンスレッシグ,山形浩生,柏木亮二
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2001/03/27
- メディア: 単行本
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- 法律以外にも人の行為を規制する方法はある。市場でコストを高くすることやコミュニティなどで規範をつくること、そしてアーキテクチャを生かすことだ。
- ネットでは、そのなかでもコード(ソフトウェア)による規制がきわめて強力だ。だからネット上の規制は不完全どころか、コードを通じた完全すぎる規制が実現する可能性があるし、まさにその方向に向けてネットは動いている。
- 法律は、コントロールが完全になりすぎないような措置が意図的に講じてある(フェアユースやプライバシーなど)。コントロールが不完全であることに重要な民主主義の価値があるからだ。
- その不完全さが残るようにするためにのみ、コードに規制をかければよいのではないか。
もっとすっきりさせてみる。まず彼の斬新さは、法以外にも以下の3つが人々を規制すると論じたことにある。上の要約の1番目だ。
とりわけこの3番目の「アーキテクチャ」。実空間では鍵がかかってるから中に入れない、とか起伏があるから車のスピードを出せない、とか。もっとコントロールされた形になると回転率を上げるためにマクドナルドの椅子はちょっと硬くなっている、とかそういうことを意味する(ここはチョイ留保。考え中)。サイバースペースをテーマにした本書では「アーキテクチャ=コード(プログラム?)」という等式が成り立つと思うのだが、「コードも法だ」と言ったところに彼の新しさがある。これだけすっきりまとめられることになぜ400ページ以上が費やされるかというと、彼は要所要所で個別具体的な事象を説明し、それらにおいてこの四つの規制がどのようになっているかを述べているからだ。「価値がかわればそれを保護するアーキテクチャもかわる、そこで何を守りたいかまずはっきりさせておくべき(価値を掲げよう!)だろう」という彼の言葉がその先にある。なぜならそのコードが単一の作者によって書かれたもの(クローズド・コード)なら、ある政治的な力が(内からか外からか)かかったときその「アーキテクチャ」はすんなりそれを反映してしまうから。サイバー空間では「いかなる」コードも原理的には可能なのだ。つまり「アーキテクチャ」は政治的諸力の摩擦によって生まれてくる(ここ多分ポイント)。ちなみにここから話は「オープン・コード」につながったりする。そしてあとは山形氏の要約へ。気になる方は本書へ。
- 作者: ローレンス・レッシグ,Lawrence Lessig,山形浩生
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2007/12/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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で、こうした「アーキテクチャ」モデルがおそらく最近建築界でしばしば聞かれるようになった「批判的工学主義」と絡んできます。上で保留にしたマックの話は東さんが「環境管理型権力」の例として取り上げたものですが、これは必ずしも「アーキテクチャ」のみの説明として適切かわからないということで保留。とりあえず続きはまた。ちなみにその「続き」はまだ助走です。