どこかしらへ向けたゆるめの助走―その2

その1はこちら
「法」のほかに「規範」「市場」「アーキテクチャ」も人を規制する、というレッシグの主張をまず見た。今回はここからダラダラと「建築家不要論」を考えてみたい。今回もれなく小見出しとかついてます。いきなり引用。

アーキテクチャ上の制約は、その対象者がその存在を知ろうと知るまいと機能するけれど、法や規範は、その対象者がその存在についてある程度知っていないと機能しない。(レッシグ『CODE』、436ページ)

「後払い」と「先払い」

これは「仲介者(エージェント)」の問題へと繋がる。「法」は警察がいないと機能しないし、「規範」もそこから追放されるコミュニティがなければ機能しない。いわば「後払い」的規制(悪いことする→捕まる)。これに対して「アーキテクチャ」と「市場」は仲介者がなくても機能する。いわば「先払い」的規制(無理なものは無理)。ただし「法」も「規範」も内面化されれば「アーキテクチャ」のように仲介者を直接的には必要としなくなる(捕まるのやだからやめる)。
環境管理型権力」とのつながり
ちなみに「アーキテクチャ」は内面化が「全く」なくても規制できる(この「全く」というところが市場とは異なる)。ドアに鍵がかかっていれば、それを意識しようがしまいが入れないわけだ。つまり「アーキテクチャ」型規制は「自己実施」(制約が勝手に制約する)という他の3種とは異なる特徴も持っている。東「環境管理型権力」への接続は、おそらくこの「自己実施性」とりわけ「意識しないのにコントロールされている」という点が鍵になっている。詳しくははてなキーワード環境管理型権力」の項をどうぞ。
おさらい

  • 「法」&「規範」=内面化されれば「先払い」的規制
  • アーキテクチャ」&「市場」=もとから「先払い」的規制

建築家はいらないよ
つまり4種の法則はすべて行動に先立ってその行動を規制する「先払い」的な規制になり得る。この規制を過度に内面化して建築家の職能をビッキビキに囲い込んでいくと「建築家っていらないよね」という話になる、と思う。例えばこんなかんじ。

  1. 「法」:耐震強度に重点を置きすぎる建築基準法によってクリエーティビティが潰される、とか
  2. 「規範」:一般人は建築家の独りよがりなデザインなど求めちゃいない、とか
  3. 「市場」:1平方ミリメートルでもフロアを広くして賃料収入アップせよ、とか
  4. アーキテクチャ」:「空調が・・・」「掃除が・・・」「セキュリティが・・・」、とか

そのいらない「建築家」とは何者か
そしてこれらを付き合わせると「建築家にはやることが残っていない」ということになるのだろう。ここで興味深いのは、上のような状況を考えると、逆説的にある一定の「建築家」像が見えてくることである。それは「容積やプランといった内側に手をつけることができず、外装をいじるしかないのだけど、それもできなくなりつつある建築家」とでもいえるだろうか。

長くなったのでこの辺で。つづく。