読了メモ

住宅の射程

住宅の射程

磯崎新氏曰く「住宅は建築じゃないよ」の理由、以下3点。

  • どうせ住宅はnLDKの組み合わせでしかないから
  • そのnLDKが前提としていた家族像(核家族)が崩壊しているから
  • 住宅を評価する基準がないから

ちなみに磯崎氏は住宅を認めていないわけではなく、ただ住宅は建築ではない、と言っている。そして住宅ばっか建ててても有名になれないよ、とも(多分これは帰納的推論。反論は下の2))。「家族」という幻想に縛られず個々人がバラバラになって自由に住まうような時代に、核家族を想定したnLDKという形式がついていけてないこと、つまり内容と形式の不一致を批判しているわけです。
ではそれでもなお建築するにはどうしたらいいか?
1)構築物としての住宅をやめる
別のところで述べられる「ホームレスのダンボールハウスは建築」という旨がポイントか。必要な分だけ増やせる、やばくなったら跡をくらませる、など使う人のアクティビティがそのまま形になったようなモノをつくるのがひとつ。ホームレス問題が極めて社会的にアクチュアルであるからこそ、なのかも。具体的には?と言われると困るけど。
2)住宅やめたくない、けど建築やりたい
住宅以外にも転用可能なコンセプトなりダイアグラムを考え、それに沿った住宅をつくる。例えば藤本壮介さんが「T House」で見せたモデルは「安中環境アートフォーラム」にも繋がる可能性を持っていた。nLDKに落ち着くかもしれないけど、斬新なコンセプトを打ち出すことができれば住宅で建築できるかも。

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とはいえ、別に建築する必要なんてないわけだし、「個化」する現代人にnLDKは古い!とか言ってても結局そこが自分の家なら人は住むだろう。結構適応力強いし。それと林昌二氏の、それでも「家族した」ほうがいいんじゃない、という旨にもちょっと賛成かもという気になるし。というわけで個人的には住宅が建築だろうが建築じゃなかろうがどっちでもいい、という意見があってもいいかなと思います。