どこかしらへ向けたゆるめの助走―その3

メモなのであらいです

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

まずは図式的にさっくりと都市の3分割から

  1. シュミュラークル都市(「広告都市」):ある意味に基づいて調整された都市(ディズニーランドみたいな都市)
  2. シュミュラークル郊外(「広告郊外」):例えば「〜な街、○○(地名)」というテーマに基づいて調整された郊外
  3. ファスト風土」的郊外:説明は後述

3番目の「ファスト風土的郊外」(「ファスト風土」についてはここでちょっと触れた)は他にも「ジャスコ的郊外」とか「国道16号線的郊外」とか言われているのだが、ようするに適度に安全(セキュリティとか)で適度に暮らしやすい(バリアフリーとか)「人間工学的に正しい」けど「均質化」した郊外ということになる。

で、引用

誤解を避けるために言うと、ここで僕が言う「ジャスコ」とか「国道16号線」とは、場に対する特定の欲望のあり方を指す抽象的な概念です。ある空間のあり方を「意味」に基づき調整していくのではなく、量的なスケールを重視して、巨大なモノと情報のアーカイヴを作ってしまうような欲望のことです。(北田)

この本で言われているのは、3番目の「郊外」がだんだん前二者を覆い尽くしていくのではないか、ということである。
ここで東・北田の意見の相違に着目。先に少し触れたように「セキュリティ」「バリアフリー」等の問題によって「特徴ある町並み」(例として下北沢が挙げられている)すら人間工学的な「最適化」(彼らはこの語を使ってませんが)によって均されてしまうのではないか、という東に対し、北田は、その「最適化」にもやりようがあるわけだし、その限りで「特徴ある町並み」だって残せるのではないか、と述べる。以後議論が抽象的な方向に流れていくのでそこは割愛(ただし家族における再生産の話も絡んでいるので、建築的文脈では親+子の観点からのみ語られがちな家族像に対する批判として読むと面白いです)。
個人的な意見を述べると、北田の「最適化」にはやりようがある、という意見を支持したい。「セキュリティ」「バリアフリー」等といった問題は、全国普遍的に「電灯をつける」とか「スロープにする」とか「道幅を広げる」とかそういうレベルですむ話ではなく、東の言うように「高速道路ができるように解決される」(工学主義?)という意見にはちょっと疑問がある。ここでの個別具体性に関しては北田の示唆以降触れられていないのだが、これは彼らのスタンス上仕方のないことだとしても、そこには空間的に(制度的のみならず)解かれるべき問題が残っているのではないか。
だがこうした空間的問題はいったい誰がどのようにして取り組んでいるのだろうか。このあたりについて以後ちょっと調べてみたい。

参考のためにここで一例を。世界的にも珍しい石造りの港が景勝地として名高い広島・鞆の浦(とものうら)の埋め立て問題である。とかいいつつも実は僕自身先週の「ランドスケープ」の授業でこの話をはじめて知った(恥ずかしながら)。詳細はWikipediaに譲るが、ここまでで問題にしてきた「人間工学的な」「最適化」は、「ポリティカリー・コレクトネス」として埋め立てを正当化する建前に転じやすい。実際にはそれこそ政治的な問題(金銭を巡る)が背景にあるようで、その分余計とこれら言説の危うさが分かる。文化やサスティナビリティ等の問題を考えるためにも有効な一例。