あさださん

今日はあっくんこと浅田彰を見に中ノ島の国立国際美術館に行ってきた。先輩と11時に現地集合の約束だったのだけど起きたら10時過ぎだったので諦めて先に行っててもらった。

そういえばあっ君は何しに来るのか美術館に来るまで知らなかったのだけど、どうやら今展示してる「もの派」にまつわるシンポジウムがあるのだそうな。3日間連続のシンポジウムの3日目が今日で、それであっくんが参加するらしい。

あっくんは三時からの討論会に参加。思ったより普通だった、多分眼鏡がいつものエイティーデトロイトヒップホッパーみたいなでかいやつじゃなかったからだと思う。あの眼鏡だったらなんか遠くにいても絶対分かると思う。そういえばこの前なんかのイベントがあって京都で伊東豊雄みたけどそのときもすごい普通と思った。お父さんの友達みたいだった。

非常に眠かったからうとうとうとうとしてしまい何はなしているのか断片的にしか分からなかったけど、ヨーロッパからアメリカへと拡大した芸術は、そのヘゲモニー争いの果てに、ネオ・コロニアリズム的なカードの切られ方をすることとなった。例えば、いまだ知られざる地の芸術の紹介がそれであるわけだが、それが「歴史の終わり」に伴う大きな物語の否定から個の趣味へのシフトチェンジをじわじわすすめながら、究極的にビエンナーレトリエンナーレ等々の見本市化を引き起こしてしまった。みたいな事を言っていた。このことはわが国における批評的言説の弱さに関しても幾分かパラレルになる部分を持っている。美術館による展覧会のカタログ化の際に辛らつな批評が載せられない、というシンプルな構図が一方に、そして他方ジャーナリズムが批評の場として機能しなくなって情報コラムの場のようになってしまったのであるが、これも「歴史の終わり」に際し言説に付きまとうこととなった自己言及性が拡大し、現代になってゼロポイントになってしまったからだ。とも言っていた。あっくん明快。

途中に出てきた宮川淳の引用は秀逸だった。
「芸術は芸術の存在しないことの不可能性によって存在している。」
これから「好きな言葉は?」とか聞かれたらこれ言ってみよう。あわよくば今度の飲み会とかで言ってみようと思う。