広場恐怖症2

以前アップしたヴィドラーの『広場恐怖症』を少しブラッシュアップした。相変わらず長いが。 ヴァールブルグの読みが今日の分ではかけているのでその補足の必要有り。おそらくモダニズムのバックグラウンドを吟味しつつまとめていくといいのではないだろうか。それにしてもなぜ今この話題なのだろうか、という点に問を絞りつつ、このブラッシュアップが完了したら、コメントしていこうと思う。

関係ないがタイトルが図らずもホラー映画のタイトルみたいになってしまった。しかも続編の。



19世紀末のヨーロッパ大都市の急成長による伝統的な都市のメトロポリス化による神経疾患――主に広場恐怖症――をめぐってさまざまな議論が交わされた。その症状は動悸、赤面、震え、死への恐怖などであり、その発作は広場や人気のない街路の横断時にしばしば起こった。個人的な心理的疾患を社会的な状況へと昇華させている点で、これは大げさな比喩ともとられかねないが、こうした新たな「恐怖症」の発見は社会・政治的な性質の変化にしたがって都市空間を再配置するより大きな過程の一部となるだろう。ドイツのカミロ・ジッテが広場恐怖症を語る際の言説に滑り込ませた都市計画に対する美的観点からの批判は、美的価値判断と心理学的価値判断の結合としてモダニスト、反モダニスト両方から支持を得る。空虚な空間に対する恐怖がある一方で、人ごみでにぎわう空間に対する恐怖も広場恐怖症と呼ばれることとなり、その原因を視覚的なものとするのか、あるいは遺伝的なものとするのかに関していくらかの言説が交わされることとなったのだが、そのどちらであれその症状と都市の関連性が排除されることはなかった。つまりこのことは医学的病因よりも、この広場恐怖症のもつ文化的意義の方が重要であるかのようであった。反対にその原因を遺伝でも空間そのものでもなく「性生活の異常」であるとしたのがフロイトであったが、しかしこれらの分析において環境はあくまで二次的な要素であった。これを建築や都市と結びついた解釈のために空間の文化的な理解をするというコンテクストにおいてはこれを一次的な要素であると主張しうるのではないだろうか。そしてその実践がおそらく有名な「ハンス少年」のケースである。その結論は、患者は空間に対して敬意を払い、それは想像界それ自体への敬意となり、タブー体系への無関心を示すこととなる、ということだ。

一方、広場恐怖症は現代病ではなく、原始時代から現代にいたる基本的な病である、という拡大解釈を行い、その広場恐怖によって現代抽象幾何学の諸空間が創造されたのだ、という論を提唱したのがヴォリンガーであった。抽象は自然に対する原始的な恐怖から生まれ、その本能的な恐怖によってたゆたうイメージを平面状へと安定的に固定させた。芸術の中に抽象が姿をあらわすのは常に群衆に個人が服従していることを示すのである。要するに自らの薄気味悪さの中に何らかの光――常に何らかの空間――を差し込もう、無意味さという不安のなかで自己の空間を創造しようとする闘いは、それがなければ自らが恐ろしいものを生み出しているにもかかわらず、その恐怖に逃れることができなくなる空間的・時間的近接性、触覚、密集一般に対する「タブー」を生み出す。この恐怖に対して近接するか、距離をおくかという解決法に関してはアビ・ヴァールブルグのケースが示唆的である。