蝋人形の館

今日は午前も午後も授業。最近やたら寒くて困る。午後の授業では蝋人形館の話題が出て、「セレブもの」の蝋人形についての言及があった。日本的な「セレブ」と語の本来の意味での「セレブ」を二重にかねそろえたセレブで蝋人形になってるセレブの代表格といえばパリス・ヒルトンが挙がるということで、今日はパリスをフューチャーしてみる。

パリス・ヒルトンは1981年生まれで今年24歳、妹のニッキーと二人でヒルトン姉妹として有名だが、後二人兄弟がいる。おじいちゃんがヒルトンホテルの創設者コンラッドヒルトンで一家の総資産は100億を超える(このうちパリスの取り分は5億くらい、とのこと)。パリスは主にモデルをやっているが、歌を出してみたり女優業をしてみたり本を出してみたり香水をプロデュースしてみたりなかなか手広く活動している。以上の情報はウィキペディア米国版からの情報。

男性遍歴はかなり複雑で、最近だけでもバックストリートボーイズのニック・カーター、スティングの息子、ギリシャの海運王の息子パリス・ラティス、もう一回ギリシャの家運王の息子スタヴロス・二アルコス、となっている。三番目のパリス君の家は3000億の資産(7000億だったかも)四番目のスタヴロス君の家は8500億の資産を持っており、どちらも大資産家であるが、三番目のパリス君とは婚約後すぐに破棄しており、四番目のスタヴロス君はもともと「フルハウス」でおなじみオルセン姉妹メアリー・ケイト・オルセンと付き合っていた。パリスを語る際に欠かせないのがゴシップであり、映画プロデューサーリック・ソロモンとのプライベート・セックス・ビデオの流出(これをパリス・ラティスの両親が知ってしまったため婚約破棄になった)や、ハンバーガーショップのCMがあまりに過激で放送禁止、などゴシップネタを挙げれば枚挙に暇がない。ちなみに流出したビデオは一時期販売されており、そのタイトルは「ワン・ナイト・イン・パリス」と無駄にうまい。


とまあパリス・ヒルトンにまつわる情報を列挙してきたがこれではただのファンで終わるので、ちょっと突っ込んで考えてみたい(ほんとはもっと書きたいことあるが)。日本におけるパリス受容をとりあげてみよう。

日本のティーンズ雑誌やワイドショーにおいてパリスはあくまでも「ヒルトン姉妹」の姉として「本物のセレブ」という扱われ方をしている。彼らがそう受容するその背景には彼女のモデルとしての肩書きとヒルトン一家という大資産家の存在が包含されており、彼女の実生活の乱れっぷりは裏のカオとして切って捨てられている。一方で僕のようにかなりプライベートな部分をゴシップという形で楽しむ日本人の存在もその対立項としてあるという状況を考えると、その輸入の仕方の恣意性みたいなものが浮き彫りになってくる。つまりパリス・ヒルトンというアイコンをいかようにして使いたいのかという仲介者の意図のようなものがありありとそこに浮かび上がってくるのである。肩書きやブランド、あるいはゴシップという周縁の装飾によって構築されうるパリス・ヒルトンという一アメリカ人が異国イギリスのマダム・タッソーに蝋人形として存在している、という違和感。彼女はその完成の際にイギリスへ飛び、「似てない、可愛くない」とコメントしているが、その周縁の装飾によって彼女を同定しているわれわれ日本人にとって彼女の蝋人形が似てるか似ていないかなど得に関係がなく、その同定の仕方故にオリジナルを必要としないわれわれにとって彼女のセリフは妙に不思議にむなしく響く。僕が違和感、といったのはそれに加えてイギリスにいるパリスがゴシップを起こさないということであり、それを楽しみにパリスを受容する僕にとって、そこに何がしかの違和感を覚えるとしたら、それはやはり彼女のゴシップの不在によるものだろう、ということだ。

彼女と蝋人形のズレが彼女とわれわれの受容する彼女のズレからもズレているという複雑さが敢えてだったら面白いかもと思ったが、実際に見てきた先生によると「どれも似てなかった」ということだったので頓挫した。あるいは有名人なんて多少なりともそんなものなのかもしれない。でもこうした流通によって実存在が霞み得るという状況はやはりなかなか面白い。そのうちパリスのコスプレをする現代芸術家とかが出てくるかもしれない。日本なら森村かな、アメリカならクーンズとかかな、などと楽しみにしている。


追記:そうそう、今日の題「蝋人形の館」は図らずもパリスが出演する映画の新作タイトルである。絶賛公開中。行かないけど。