女が男になりたがるということ

「冬ってこんなに寒かったっけ」と毎年言っているような気がする。ちなみに「今これだけ寒かったら年が明けたらどうなるのだろう」というのも毎年この時期になると口に出る。これは多分僕だけじゃないと思う。多分っていうか絶対。

ニコール・キッドマンフェミニズム団体に言われてニコール・キッドパーソンになる、という事件の可能性を考え、まあないだろうな、と思わせるその社会的通念のなかにフェミニズム思想が真に克服しなければならない男/女という二重構造としての前提があるのでは、ということをつらつらと考えていた。例えば「抑圧される女」という言は、その中に隠された「抑圧する男」の存在をどう捉えているのか、とかヒエラルキーにおける位相を逆転させよう、という意味でそれを使う「男になりたがる女」をニーチェは嘲笑したのだろうか、とか。このへんは慎重な手つきで扱わなければならないと思う。

でも二コール・キッドマンの、この例でよくないところはそれが苗字だというところであって、逆にそこがポイントなのだ、といえなくもない。それを指摘する団体の存在、というその現象にそくして、という前提はあるが。