正しい前提から正しい推論をして間違った結論へ至る事
唐突だが問題。
ある要素の集合をAとし、ある要素でない集合をBとする。すべての事象はそのどちらかに区別可能とする。その際集合Aのその「集合」はAではなくBになる。集合Aは例えば椅子の集合とか人間の集合が当てはまり、集合Bには形而上学的な集合が当てはまるが、その中で「集合」の集合も集合Bに当てはまる。
さて、「自分自身の要素でない集合、の集合」を集合Rと置いたとき、集合Rは自分自身の集合となるのか?
これは「ラッセルのパラドクス」といってイギリスの哲学者バートランド・ラッセルによって考えられたパラドクスである。もし仮に集合Rを「自分自身の要素でない集合」とすると集合Rの定義「『自分自身の要素でない集合』を要素として含む集合」に矛盾し、集合Rを「自分自身の要素である集合」と仮定するとこれもその定義から外れてしまう。というもの。
これに似たパラドクスには「床屋のパラドクス」というのがあって、「ある村の床屋は、自分ではひげをそらない村人全員のひげをそっている。では村人の一人である床屋は自分でひげをそるか」というもの。このなかの「村人」を「集合」に、「ひげをそる」を「自分自身の要素である」に対応するとかなりの精度でこの二つのパラドクスがパラレルになる。
このパラドクスは「自己言及的」であり、「全体によってしか自らを同定できない要素を含む命題は全体を持たない(存在しない)」という旨である「悪循環原理の禁止」によって説き明かされる。
でもそうすると今度は「一番背の高いアメリカ人」という表現が意味を持たなくなるのである。
詳しくは、三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』を参照のこと。金曜三限にコジェーヴを講読しているのだが、その先生がおすすめしてくださった本である。
ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975))
- 作者: 三浦俊彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/10/20
- メディア: 新書
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