菊人形<フリーフォール

今日は授業が午前中で終わり。午後からはひらぱーに菊人形展を見に行った。

菊人形展九十六年の幕を閉じる今回はテーマ「義経」ということで俄然期待も高まるというものである。集合→チケットと来て、さて見るぞと満を持して入ってみると菊の服を着た人形が立っているのを発見。まわり菊まみれ。菊人形をみたことがなかった僕はかなり念入りにあらゆるタイプの菊人形を想定し、最悪の事態までを覚悟していたのでこれでは引き下がれないというものだ「いやいやえらいもん見てもうた」気を取り直して会場にイン。菊人形フレームイン。さっきと同じ。無念である「これがそれか・・・」

おそらくそれとは別の意味で期待はずれだった様子の先生は、課題として出されていた感想の提出を来週まで伸ばしてくださった。ということでみんなでひらぱーを満喫。フリーフォールとかジェットコースターとかからくり屋敷とか。遊園地に行くとヴォルテージが上がる派なのである。

それにしても菊人形展はひらぱー内でかなり異端というか客の層がそこだけ急激に上昇している。菊人形を見た率直な感想はかなり「フェティッシュだ」であり、おそらくこれは「菊を育てる高齢者」をも対象にしている部分があったような気がする。つまりそこだけ菊にまみれているという菊の過剰を率直な愛へと変換するような「愛でる装置」として菊が時代劇上の「立派な」人々へと同化させられている。ということである。ということでおそらく感想はこの線を軸として、さらにひらぱー側のねらい(お土産の種類とか)や菊人形のタブローを前に写真を撮る人がそのままタブローへと侵入してしまっているかのような効果、さらに欲張って実は衣装が菊なのではなく骨格部に直接つけられたいわば肉であるという点にまで言及できたらいいなと思う。

その後愛の街京橋で先生と先輩とご一緒して御飯を食べる。僕の発言から「どうですか?」「なるほど」が禁止され、以後この禁止は続くことになった。ただ帰りの電車で先輩と話していたとき少なくとも三回は「なるほど」といった。

これからの目標は座持ちである。ちなみにこれは「座持ち」と書いて「リベロ」と読む。拾うわ上げるわ打つわ(リベロは打てないが)の大車輪の活躍をしようと思う。コートの中では反省しない、あと泣かない、というのは言わずもがなである。