美術館

今日は午後からの授業のみ。

4限は美術館におけるホワイトキューブという展示の文法についてその発展とそれ以前のごっちゃごちゃの美術館との比較などを織り交ぜて授業が展開された。ホワイトキューブとは真っ白な空間に目線の高さで並べられた、空間を比較的多く取るという展示の仕方であって、「数」の誇示を19世紀以前の美術館の持つ裏のメッセージだとすると、1930年代のアメリカから始まったホワイトキューブは、それら多くの選択肢の中から少数の作品を正当に評価し選び取ることができる、という「知識」あるいは「センス」の誇示であるといえる。1930年代アメリカのスーパーマーケットの誕生、そしてそうした庶民的施設の対極である高級ブティックの入りづらさもこの文法の「排除と選択の装置」的な側面を考慮に入れたものではないか、という話。

日本の美術館にとって対外的なイデオロギー目的はあるのか、そしてあるとしたらその対象は何(どこ)なのか、という点について今考えている。そうでなかったら自国にとどまって自国の中にヒエラルキーを作り出す装置としてしか働いていないと思うからだ。今度ルーヴルの分館を妹島と西沢のSANAAがやることになった、とかMoMAの改装を谷口ジュニアがやった、とか日本人が海外の美術館を手がけるという状況を業界全体どうとらえ、あるいは関係者がどうとらえてるのか、というとこも気になる。気になってばっかり。

何かちょっと最近集中できてないなと思っていたら、どうやら口の中に口内炎ができたようだ。しかも両サイド。これはちょっとなかなかない。左はもしかしたら親知らずかもしれない。どの道ネガティヴ。