間主観的

今日は1限から5限までのハードな日。なんというかのっけからうまくいかなかった。何がといわれると困るがそういう日がたまにある。

こうして、個々の主体が独立の存在として現れてくるのであるが・・・主体同士が出会ったときにパースペクティヴを交換することを可能にする・・・この交換は、「人の身になってみる」という日本語の表現を思わせるような身体的レベルでの操作として、とらえられる。  ――浅田彰『構造と力』


こういう日は間主観的に「人の身になってみる」と自分自身のパースペクティヴ自体も更新される。やはり負け試合から学ぶことは多い。

どおりで今朝の「めざましうらない」で11位だったわけだ、悪いこともありますわ、と思いながら、結局占いは事前に覚悟するためのものでなく後から納得するためにあるのだな、と思った。少なくとも僕の場合はそうである。