曲げられた空間、まだ続いて

今日は序文の要約をしてみた。ちなみに今日の授業は三限の「人の移動と世界史」のみ。

Folds, blobs nets, skins diagrams: all words that have been employed to describe theorethical and design procedures over the last decade, and that have rapidly replaced the cuts, rifts, faults, and negations associated with deconstruction, which had previously displayed the types, signs, structures, and morphologies of rationalism.

「フォールド」「ブロッブ」「ネット」「スキン」「ダイアグラム」という言葉はここ十年の建築的動向を説明する際に用いられる言葉であって、これは脱構築主義に関連した「切断」「亀裂」「欠点」「否定」という言葉を置き換えたものである。で、さらにその前には「タイプ」「サイン」「ストラクチャー」「合理主義の形態学」という言葉があった。こうした新傾向はバタイユの再読やドゥルーズ=ガタリへの新たな関心によっている。

The representative forms of this by now strong tendency are complex and curved, smooth and intersecting, polished and translucent, thin and diagrammatic.

こうした新しい語彙やその具現化はデジタルテクノロジーから取り入れられたものであって、この傾向はモダニズムの系譜学において前例がないように見えるのだがそれでもその存在を認められている。これは様々な領域からの空間への共通の関心が二十世紀の発展に関して歴史的な持続をを与えているからである。例えば抑圧の特質と主体の性格に関する空間的思考と精神分析学的それの交差は、世紀の変わり目における社会的、美学的言説に占領され、1920年代、30年代の前衛(表現派)は表象の観点からこの交叉を探求していった。それは近代の伝統的な空間をゆがめ、人間主体の伝統的な虚構を疑問に付しながら、その結果として空間の歪曲を提示することになった。

筆者は空間の歪曲に関して二つの形態をこの本の中で取り扱っている。一つが心理学的、そしてもう一つが芸術的な形態である。前者において空間は主体の投射、そして神経症や恐怖症のきっかけとなっており、後者は異質なメディア間の垣根を打ち壊すような強制的な横断によるものである。これら二種の歪曲は近代の芸術的、建築的な実践の共通の基礎によって確立している大都市の空間を典型としている。これらの空間は流動(flux)として機能しており、主体や対象はそこへと彼らの常に不安な関係を順応させるよう強いられている。建築家や芸術家がこの大都市に内在するこうした問題を物質的、ユートピア的解決策によって答えようとしてきた、あるいは単に彼らの暗黙の恐怖や興奮のうちにそれらを表象しようとしてきたそのプロセスを筆者は検証しようとする。