都市ではなく広場であるということ

今日は三限が休みで四限のみ。四限は都市に関しての話題だったので今回の発表と結構かぶるところが大きかった。

都市とテーマパークの違いに関して都市の歴史をあげ、それを都市のアイデンティティーとするべきであるのに最近の都市はそれを覆い隠し均質化している、という感じの論点だった。こうした語り方は割と以前からあるように思う。でもタイムリーだと思ったのは、今回の発表で僕が意図的にはずそうと思った領野がちょうどそのへんだったからだ。都市を語る際にそこでの記憶という問題は今日先生が話したような語り方では包括しきれない部分を持っていると思う。それを記憶という同じくくりでカテゴライズするのはどうかとも思うが、そういう意味でこの都市論を古いといってバッサーと無視するのは良くないと思うし、それに対して明確な答えを持ち合わせていないということが今回の発表の契機になっているというのもある。僕が今回都市論を広場、特に広場恐怖症に特化したのはそういう意味合いも含まれていて、都市が論じられる際の内容ではなく、全体としての現象をとらえたときに囲い込まれた広場というものの持つ側面を提示することによって、都市の記憶と並行するような形で現れてくる新たなパラダイムが見えてくるのではないか、と考えている。

ということで昨日挙げたアフォーダンスの理論がバッティングするのではないか、荒川+ギンズのランディングサイトという概念も有効になるのではないか、と思っている。

という若干の希望的観測。発表は明後日。