最近使い方を覚えてきた――脚注編

クリスマス自体興味ないがクリスマスソングは好きなので毎年「この一曲」を決めている。一昨年はジャズのクリスマススタンダードを集めたレコードが「この一曲」というか「この一枚」だった。このレコード、ジャケットがサンタの格好をさせられたルイ・アームストロングでしかもそれがフォトモンタージュだった。これだけがどうしても気持ち悪くて我慢できなかった。去年はナットキングコールの「クリスマス・ソング」。この年ダイエーで働いてて1000本ものチキンをさばいた。やさぐれた。そして今年は昨日届いたダニーのCDにも入ってる「ディスクリスマス」。ちなみに今年も大量のチキンをさばくことになりそう。ちなみに毎年「明石家サンタ」は観ている。欠かせない。

で、今日は都市の記憶に関してフランプトンの「批判的地域主義」を読んで思ったことを少し書いておく。

批判的地域主義は「普遍的文明と個別的な場所の特色から間接的に引き出される諸要素との和解」を目指す、地域に根ざした、それでいて批判的な戦略を指す。これは文明が世界の均質化を成す途上における一種の抵抗の運動としてみることが可能であろう。フランプトン派実践的な例示として機構の偶然性や時間によって変化する地方独特の光を挙げている。

こうした彼の文脈において挙げられる「批判的地域主義」はアレックス・ツォニスやリリアン・ルフェーブルらによって提唱された概念である。しかしこれは建築史をさらに遡った19世紀、「様式」という概念の誕生において類似した思想が存在する。「様式」概念は18世紀までは存在せず、「手法」「性格」「趣味」という概念に代用されていた。19世紀において各地域によって決定され、そのうちに固有の必然的プロセスを持つものを「様式」と呼ぶようになった。これはヴィオレ=ル=デュクの合理主義思想に代表されるものであり、こうした意味で「様式」と「合理主義」は近代においてその断絶が論ぜられるところではあるが、決して距離があるわけではない。そしてその地域的特性の特化という点に関してはテーヌ*1の論を参照することが有効であろう。

批判的地域主義と彼らの論では文脈が違うが、そのコンテクストの相違がいかなるものなのかに関してちゃんとチェックしておこうと思う。

あとなんというか「東京ミレナリオ」ってどうなの?と思っていたのだが今年で休止らしい。神戸はどうするのだろうか。

*1:Hippolite Taine, 1828-1893, フランス人