返答

morohiro_sさん、はじめまして。お話は常々伺っておりますしブログを興味深く読ませていただいております。コメントどうもありがとうございます。ちょうど考えなければならない部分をご指摘いただいたように思います。ということでコメントに対する返答としてエントリーを立てることにしました。

近代におけるさまざまな変化の結果、本来あったそれぞれの場所の持つ特性--場所性--が喪われていったという議論なんですが、フランプトンが言っていることもそういうことですか?

おそらくそうだと思います。少なくとも僕はそのようにして読み進めました。ただフランプトンの文脈でこの「変化」というものをどうとらえるかがポイントなのではないでしょうか。フランプトンはかつて文明と文化による弁証法的な相互関係を通じて、都市構造の形態や意味を一般的にコントロールする可能性があったとしています。これが現代に移ってこの可能性さえ均質化によって失われてしまった、と読むことができるように思います。

むしろ「場所性」というものも、特定の地域的、時代的なコンテクストの中で、さまざまな力により構築されると考えた方が納得できる・・・そうしたもの同士の交渉/折衝によって創出され、また力同士のバランスの変化によって、不断に更新されていくというような動態的なモデルで考えた方が説得力があるような気がします

かつての時代において成された環境との対峙方法というものを「様式」として議論したテーヌらを目指して、「環境に対峙する人間の手つき」というところに僕はこだわっていたのではないかと思います。そうした読み方はやはり本質主義的な部分があったと思います。ご指摘いただいた考え方はその位相における社会的手続きのようなものまで照射しているのではないか、と読ませていただき非常に興味深かったです。先生が発表の際に「内実を入れて」とおっしゃっていたのはおそらくこうした部分が僕の発表で見えていなかったからなのではないかなとふと思います。

具体的な時代背景を混同して印象的な話になっていますが、実践的なケーススタディーをいくつか考えています。まあ二つなんですが。それがフィンランドのアアルトとメキシコのバラガンです。ご存知かと思いますがこの二人はどちらも20世紀初頭のモダニズム建築家と呼ばれる人々です。彼らの建築への対峙方法が結果として彼らの地域的、時代的コンテクストをうまく示しているという印象があるので、その辺のメカニズムに関してすこし調べていこうかなと思います(ますます印象的になってしまいました・・・)。建築家にのみ焦点を当てるのではなくその背景をうまく取り込んだ社会的な部分へのアプローチ、という点を建築家自身から引き出そうと考えています。ちなみにアアルトに関してはフランプトンの同論文の中でも言及されています。

あと日本という文脈で考えるのならば「日本的なもの」をモダニストたちが発見しようとしていた、という傾向も興味深いです。磯崎新が『建築における「日本的なもの」』という著書で彼らの問題機制自体を問題としているので参考になるのではと思っています。でもやはり西洋と日本では建築の発展自体にある程度の隔たりがあるのでこの二つの流れを混同することにはためらわれます。あるいは日本側から見た西洋の文脈解釈に絞って、その延長にこの問題機制の問題を布置した方がいいのかもしれません。でもそれだと範疇がずれるのでやはり傍に置いておいて面白いところをちょっとつまんでくる、というスタンスがいいのかもしれませんね。

そしてさらにこの建築の問題をどう都市論につなげるか、という点も問題です。アアルトやバラガンの問題でも彼らの建築を無反省に文化の表明と見るのは暴力的ですしなにか本質主義的になってしまう恐れがあります。

コメントに対しての返答になっているか分かりませんし、ダラダラした支離滅裂な話になっていると思いますが、現状ではこのように考えています。これからさらに大小の調節を加えながら研究を進めていこうと思います。挙げていただいたキーパーソンも参考にさせていただきます。ありがとうございました。