ポエジー&イロニー

昨日は新年会があった。飲んで・飲んで・カラオケのコンボでオールはなかなかきつい。終盤は気絶しそうなくらい眠かった。

で、ロマン主義に関する重要な概念としてポエジーとイロニーがあるが、両者は密接に関係している。ここでのポエジーは詩ではなく、イロニーは修辞法の表現方法ではない。ポエジーとは生成の途上にあるものの表現の不可能性への挑戦である。とすればこの意味で詩はポエジーではなく、詩にポエジーを見出すことが可能である、という言い方しかできないだろう。一方のイロニーは芸術や美の基本原理であって、二つの相反するものの緊張や調和のことを言う。西脇順三郎によればポエジーはイロニーとイコールである。ポエジーはただ世界のミーメーシスでもなく、かといってただのイマジネーションでもない。そしてその二つの否定それ自体が対立しながらも緊張/調和の間を戯れるということから、ポエジーが展開する場をイロニーとすることができるだろう。

ロマン主義は「はるかなもの」へと思いをよせたが、あくまでもそれは「何か別の世界」を志向しだけでなく自らの理想を過去へと求める「中世主義」をも包括する行為であった。シンケルの建築観にいかなるロマン主義的概念が見られるのか、という点に絞って考えすぎてしまうと、コンテクストを欠いた事象としてのみの「中世回帰」などが挙がってきてしまう。シンケル自身の意見すら真に受けず、かといってそこに過剰な意味を付与することもなく、時代の感覚としての主義を提示することが必要だろう。そうしたときにそう読めてしまうシンケルの「意図のようなもの」をその一端としようと思う。むずいけど。

それにしても啓蒙主義ロマン主義の関係はインタラクティヴな相互解釈によるフィードバック現象っぽい構図が見えてきがちでちょっと怖い。面白いけど。