そういえば前なにかと根源を混同していたので

今日は先生がヨーロッパに出張されているので学校は全部休み。

ベンヤミンの「根源」についてメモ程度に。歴史主義的な歴史の記述は進歩史観的で平坦な閉じたものである。そして現在とはそこにおいて過去と未来をつなぐ単なる過渡の点でしかない。ベンヤミンはこのような現在に対峙する「メシア的な時間のかけらが混じられた<いま>」という現在を提示する。例えば芸術で考えると、芸術史なるものは存在せず、個々の芸術作品が存在するのみである、というように。そしてこうした客観的な歴史を「自然史」とし、仮象としての歴史の主観的連続性が停止し、一つ一つの事象がどこにも収斂することなくただ滅びていくだけの歴史をそこに見る。こうして全体性が放棄され、その代替として提出されたのがが「根源」である。「根源」とは外から超越的に持ち込まれるものではなく、「発見」され「叙述」されるものである。歴史上の事象のミクロロギー的踏査によって、群を抜くものを「根源」として発見し、それを叙述して、概念ならぬ理念まで高めようとするのである。この意味で「真理」や「理念」とは無時間的なものではなく、その時々の歴史的な場で「発見」されるのである。

まだうまく分からない。「根源」とは<いま>から振り返って引用される歴史の事象のことをいうのだろうか。もうちょっと読解しないといけない。「始原」ていうのとはまた別の概念のだろうか、というのも気になる。