ふと考えてみるとミースと広場の関係を論じたものは少ない。

多分インターナショナル・スタイルという彼のラベリングなどが絡んでくるのだろう。あるいは彼が建てられる場所を度外視していたのではないかという指摘もそこに参与してくるのだろう。これは彼が内部から窓を通して見える風景をピカソの絵画と摩り替えたというモンタージュの手法、あるいは同様に地となる場所をモンタージュによって加工したことからみちびかれる。岡崎や松浦の論に従えば、そうしたモンタージュによって図と地の区別がなくなりメタフレームとしての外枠が不在になるのである。いきおいインターナショナルスタイルという様式はこのことをさしているのであって、スタイルとしてみることもできるがポイントは外部の不在にあるのだろう。

こうした前提があるのだからミースの作品を論じる際に度外視された外部空間、つまり地としての土地を敷衍して広場へといたることが避けられている感はある。その文脈において(僕もそうだが)庭と広場という二つの空間にいかなる線引きをなすかが明白になりづらいのもある。

不在の外部をミースの建築と見たときに例えばシーグラムのプラザをどう解釈するのかが問題となる。そしておそらくこの問題は「どう解釈するか」という問題構成自体を問題とするのだろう。ちょっと広場の側からミースの建築に投げかけられるものはないかを探していこうかと思う。