今日はこれ

装飾と罪悪―建築・文化論集

装飾と罪悪―建築・文化論集

久々にロース。「ポチョムキンの都市」を読む。エカテリーナ二世のために寵臣ポチョムキンが都市の一区画を豪華に見せた書割都市をウィーンになぞらえるという論。これはそのまま彼の「装飾は罪悪である」という文脈にも読めるのだが、視点を変えて表象の観点から考える。つまりディズニーランドが世界中を覆ったときに、そこにあるのはディズニーランドではなくディズニーランド的世界となる、みたいな。そこでディズニーランドと世界の転倒が起こるわけだが、それを見る視点は世界内に存在しない。

ミースのバルセロナ・パヴィリオンを一つの完結する世界とみなした際、これと同様の現象が起こる。詳しくは田中論を参照のこと、という感じだが、この際の「主体」の問題、そしてそうした「主体」の存在する位相としての「外部」をどう考えるかがポイント。

フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ

フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ

入れ子式といえばこの名盤の二曲目「Street waking woman」なんかは16拍子の容器のなかに4拍子が入ってるというイメージになります。最近よく聴く。