思案中

モニュメントについての発表をどうしようか考えている。

以下メモ乱れ書き

カウンターモニュメントの論文は興味深いのだがドイツにおけるホロコースト表象の問題が先に出すぎている。いきおい「モニュメント性」なるものの規定がうまくつかみづらい。「建物ではなく議論そのものがモニュメント」という旨の言説は一理あるかもしれないがそこでモニュメントの実在性がどうなっているのだろうか。それを通して自らのアイデンティティを確認するところのモニュメントという性質を考えたときに、抑圧することを要請された記憶が存在することは否めない。これを一義的に否定することは議論そのものを単純化しやしまいか。

つまり物質としてのモニュメントを「見上げる」あるいは「見下げる」という行為を伴って知覚するということを想定し、そのレベルにまである政治性をも対象にするべきではないか。このあたりのポリティックはやはり一枚岩的ではないはず。だからこそ難しいのだけど。

あとは歴史性の問題をちょっと取り込んでいけたらいいなと思う。そのためにタフーリ「歴史という計画=企画」を読み返す。読みづらいのだけど。