モニュマンとドキュマン
4・5限の演習は発表者が5人おり結局僕の発表は概説で終わる。
とりあえずリーグルのモニュメント論とのかかわりで、アイデンティティ形成の契機としてモニュメントを見る視座がどう変容していったかをみてみようというもの。リーグル論では観者、対象共に段階的な拡大を示しており、個人から出発し最終的に普遍へと行き着くという企図のもとになされている。ただむしろそうしたあり方が、ホロコースト表象を目指すモニュメントの出現あたりから変化したのではないだろうか。つまりそうしたモニュメントへと対峙する「われわれ」のあり方に対し、そのモニュメント自体が自己言及的なものになってきたのではないか、というもの。
もうちょっと考える。自分の言葉と筆者(ヤング)の言葉がどこで区切れるのか分からないとのご指摘を受けたのです。
で、昨日の鏡とつながったりつながらなかったりなのだが、院生の方の発表がバタイユ「建築」へのオリエ批評に関してのものだった。「mirror-trap」という建築の役割に関してちょっと突っ込んで考えてみたいと思う。というのも社会的構造を「うつす」という潜在性にとらえられがちなmirrorという語ではあるが、むしろ建築はすでに(つねにすでに?)それを「うつしている」のではないか。そうした所与性が先にあることで、trapの側が「罠」たりえ、自らをも破壊させるような行動を導くのではないか。そしてこの破壊は「建築」のみを射程に入れているのか、ということも考えてみたい。
面白そうなので序文コピーさせていただきました。
Against Architecture: The Writings of Georges Bataille (October Books)
- 作者: Denis Hollier,Betsy Wing
- 出版社/メーカー: MIT Press
- 発売日: 1992/02/25
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