ディズニーランダゼイション

偽装するニッポン―公共施設のディズニーランダゼイション

偽装するニッポン―公共施設のディズニーランダゼイション

ラスベガス (SD選書 143)

ラスベガス (SD選書 143)

中川の言う〈ディズニーランダゼイション〉とはカエルの形をした橋だったり上にフグが乗っている公衆電話だったりという(例えばですが)公共建築のことをさしている。これらの建築作品は1980年代ザ・ポストモダンの時代に台頭してきた。これまでのモダニズム建築が形態的にあまりにシンプルすぎたため、役所の人たちが「もっと親しみやすい」建築を欲しがったという流れで語られている。もちろんディズニーランドの大成功とかバブルの影響とかも手伝っていたようだ。

中川はこうした〈ディズニーランダゼイション〉を倫理的に批判することはできないとし、実際批判はしていない。むしろモダニズムという教条化してしまったスタイルにたいして、ディズニーランドのようなテーマを持ち込むことで乗り越えようとした、一つの力動的運動態として評価している。ただ個人的に思うのは、やはりテーマや物語から引用した象徴的形態によって、全体を覆うというスタイルが結果的に教条化してしまった感は否めない。これはつまり以前ヴェンチューリに関するエントリでも触れたが、〈アヒル〉になってしまっているのだ。ただ注意しなければならないのは、〈ディズニーランダゼイション〉と〈アヒル〉は「結果的に」形態は似てしまったが別物であるということである。

この点に関して中川とヴェンチューリは同じ方角を向いている。ヴェンチューリが『ラスベガス』の数年前に公表した『建築の多様性と対立性』においてモダニズムの合言葉となったミースの「Less is more」をもじって「Less is bore」と批判した。

建築の多様性と対立性 (SD選書174) (SD選書 (174))

建築の多様性と対立性 (SD選書174) (SD選書 (174))

モダニズムみたいにすっきりしてるのはつまらん。ごちゃごちゃしてていいじゃん」といっている(はず)。ただ彼の手法がすごい。ルネサンス以降現代までの様々な建築作品をごった煮にしたような参考図版を用い、平易な言葉で何とか概念化しようという狂気的なもの。「曖昧性」にウエイトを置く人はヴェンチューリのほかにもたくさんいると思うのだが、同時代人としてはコーリン・ロウなんかが思い当たる。長くなるのでこの辺でやめる。