プロスペクト終わり

今日は論文プロスペクト。

いろいろ思案して行ったのだがあっさりと談話して終了。結果的に尚のこと思案することとなった。パヴィリオンの原理を実体としてのパヴィリオンに当てはめることによって逆に物質性が出てくるということは飽きもせずテーマにしていきたいのだが、そうした物質性とはその対極にある素材化がなければ起りえなかったことだと思う。ということでこの素材化のプロセスに重点を置いてみることにする。まずは流通に乗った写真。オリジナルは16枚で、これがMoMAやFundacio Mies van der Roheなどに購入され流布していったらしい。そして図面やドローイング。これは実体と写真とをつなぐ媒介となる。コーリン・ロウの分析を見ていると写真と図面とのそれぞれに対して彼が与えている役割が少しずつ異なっていることが分かる。前者は感覚的な次元に属し、後者はより知性的(悟性的?)となる。先に実体と写真とをつなぐ媒介として平面図を示したのだが、案外これは原理と実体とをつなぐ媒介の役割も担っていたのではないだろうか。発表当時パヴィリオンの原理に触れる論者はほとんどおらず、戦後にようやく散見されるようになったらしいのだが、あのシンプルな平面図がメイキングとして事後的に提示されたということがポイントとなるのかもしれない。

とりあえずはこんなことを思っている。すくなくともこのどれかを抜き出して論じることはしないでおこう。これらの交差点や交差の仕方に焦点を当てたいので。写真の台頭によって視覚のパラダイムが変容して「建築の中に写真を見る」という現象も起り得ただろうし、実際の写真の喚起作用なんかもあったと思う。写真のインデックス性を建築の場面で考えてみたい。非常に散漫なメモになってしまった。

行動主義―レム・コールハースドキュメント

行動主義―レム・コールハースドキュメント

レンゾ・ピアノ関空コンペで来日していた際通訳を務めていたジャーナリストの人(瀧口さん)が超いそがしいコールハースを追いかけて追いかけて捕まえたと思ったらするりと逃げられてまた追いかける、というような密着取材記録。しかもここで強調したいのはこの追走劇が日ごとの大陸間「移動」を舞台としているということ。取材期間がちょうどコールハース率いるOMAの「中国中央電視台本社ビル(CCTV)」コンペ優勝後に位置していたこともあってとみに動く。弁が立ち、常にクリエイティヴで、ひとところに腰を据えない、常に複数のプロジェクトを抱えている、というコールハースの巨像がここで提示されているのだが、この本のなかでそこが最も「コールハースっぽい」と思う。抜群のメディア・プレーヤー(セルフ・プロモーター?)ですね。